亜細亜の街角
カラコルムの景色を満喫し中国に抜ける
Home 亜細亜の街角 | Sust / Pakistan / Jun 2007

ススト  (地域地図を開く)

パキスタンのスストと中国のカシュガルを結ぶ国際バスが運行されている。中国→タシクルガン→パキスタンは中国のバス,パキスタン→タシクルガンはパキスタンのバスとなる。つまり,双方のバスは片道だけ乗客を乗せることになる。

3年前にカシュガルからパスーに移動したとき,タシュクルガンから先の国境越えのバス代がとても高いと感じたことがあった。たしかに,帰りに乗客を運べないのであれば,2倍の料金をもらわないとならない理屈だ。

パキスタン側の起点となるスストは国境管理のためだけにある小さな集落である。中国との貿易がさかんになるにつれて,中国のトレーラーが大挙してやってくるため広いトラック・ターミナルもできている。

フンザ(約50km)→ススト 移動

2007年6月下旬,パキスタンから中国に抜けようとしている旅行者に嫌な情報が入っていた。KKHの一部が通行不能になっており,乗客はその区間を迂回して30分ほど歩かなければならないということである。これは困ったことだ。

とはいえ,7月2日の約束の日は迫っており,スストに行くしかない。チェックアウトするとハイダーじいさんと3人の日本人がゼロポイントまで見送ってくれた。ちょっと感動的である。じきにスズキがやってきたので見送りの人に手を振って乗り込む。アリアバードではススト行きのワゴンはすぐに見つかったが,先発のものは満員なので1時間待てと言われる。

ここはラカボシが良く見えるので,荷物を置いて写真を撮っているとすぐにお呼びがかかった。このワゴンは恐ろしい速度でKKHを走りぬけ,2時間でスストに到着した。

グルミットから先の風景もすごい。カテドラル(グルミットの北側の鋭鋒)に続いて間近に大きな雪山が見える。この山の迫力も大したものだ。雪山の下は谷が形成されており,そこから一筋の流れがわずかな平地に向かっている。

この谷は地球が今よりずった寒かった時代に氷河により削られたものであろう。現在でも谷の上部には氷雪が堆積しており,少し夏の気温が下がると氷河が形成されそうな雰囲気がある。灰色の風景にあって谷からの水路の周辺だけは緑色が帯状に広がっている。

カテドラルを過ぎるとその右手に小さな氷河が見える。パスー氷河の末端はKKHからさほど遠くないところまで迫っている。KKHの移動は退屈しているひまはない。惜しむらくは車がもう少しゆっくり走ってくれたら,もう少し程度の良い写真が撮れるのに。

FBH(正式名称が分からない)

スストは本当に最近できたという印象を受ける。2004年に来たときは家屋はまばらであったが,現在は通りの両側200mほどの集落となっており。その背後に新しい建物ができている。中国との国境貿易でトラックの交通量が増加したので商売は繁盛しているようだ。

宿はFBHにする。この宿の正式名称は日記には記されていなかった。部屋は6畳,1ベッド,トイレ付でまあまあ清潔である。

スストの1日

スストは平屋の家屋がKKH沿いに200mほど連なっているだけの集落である。国境を行き来する人が利用するのか,宿は10軒以上数えることができた。僕は中心部のFBHに泊まることにした。建物が2列になっており,壁は四角い切りい石を積み上げたものだ。6畳,1ベッド,T付きでまあまあ清潔である。

タシクルガンに向かうNATCOのブッキング・オフィスは宿の向かいにある。予約の記帳をするときに日本人の名前をチェックしてみた。ギルギットで一緒だったDさんの名前がある。昨日の日付なので僕よりも2日早く移動していることになる。

KKHの一部区間が不通になっている件に関しては朗報があった。昨日からなんとか車が通れるようになったという。これで安心して明日は出発できる。それにしても,不通区間では何が起こっているのかという興味も湧いてくる。

KKH沿いにあるスストの集落の南にはカテドラルがどっしりとそびえている。今までは南から眺めていたカテドラルを今は反対側から見ていることになる。カテドラルにはまだ雪が残っており,夏の景色とは一味違った趣がある。

KKHは山に向かって真っ直ぐに伸びており,山にさえぎられてそこで終わっているような印象を受ける。道路の両側にある小さな丘に登ればすばらしい眺望が期待できそうだ。(翌朝登ってみたら意外と景色は良くなかった)

集落の西側にはフンザ川が流れている。川原に出てみるとさえぎるものが無くなり,とても写真写りのよい鋭い峰が連続するカテドラルの全容がよく見える。

夕方から宿の食堂で日記を書き出す。周囲の人たちは日本語の文字が珍しいのかのぞきにやってくる。突然,強い風が吹き出し埃を巻き上げている。従業員は急いで窓と戸を閉める。さっきまでは青空だったのに,山の天気は本当に変わりやすい。

飢餓と過食

となりのテーブルでは60代に見えるドイツ人の男性が食事をしている。ビリヤニ,サラダ,ヨーグルト,ダル・カリー,ナンがテーブルに並んでいる。すごい量だ。明らかに僕の2食分である。ヨーロピアンの食欲にすごい。これでは,肥満の問題が出てくるのは当然といえば当然だ。

炭水化物,脂肪,タンパク質は主要栄養素と呼ばれ,細胞の成長とエネルギー生産に必要な基本要素となっている。炭水化物とタンパク質は4kcal/g,脂肪は9kcal/g のエネルギーを生み出す。

ビタミンとミネラルは微量栄養素と呼ばれ,主要栄養素が体を作り維持するのを助ける働きをする。主要および微量栄養素のどちらかが不足した状態を栄養不良といい,主要栄養素の不足を飢え,過剰を過食という。どちらも,人類の健康に大きな悪影響を及ぼしている。

世界人口の2割,およそ12億人は飢え(必要なカロリーが取れない状態)に苦しんでいる。飢えは多くの国で子どもたちの命を脅かしている。 FAOは慢性的な栄養不良状態にある人の数は7.9億人で,1970年の9.2億人から緩やかに減少していると推計している。

しかしこの数値は途上国における平均的カローリー摂取量に基づいており,不公平な食糧配分を考慮すれば12億人が飢えに苦しんでいると推定される。先進国を含め食糧配分の不均衡が現代社会の飢えを引き起こしている。

その反面,過食による「肥満」が先進国,発展途上国を問わず大きな社会問題になっている。欧米では成人の半数が「肥満または太りすぎ」の状態であり,その範囲は子どもたちにまで広がっている。また,途上国においても食習慣の変化により肥満は急増している。

過食とは必要以上のカロリーを摂取する状態であり,逆の意味での栄養不良ということができる。今日の世界では飢えと肥満に苦しむ人がほぼ同数となっており,WHOは世界人口の半分が何らかのタイプの栄養不良にあると推定している。

世界的な肥満急増の大きな原因は食習慣の変化である。人類の非常に大きな割合が,穀物と野菜を中心とする伝統的な食事からたんぱく質・脂肪と糖分を多く含む食事に移行している。この「食生活の変化」は,所得の向上,都市化,女性解放などさまざまな社会的変化によりもたらされた。

パキスタン北部では伝統的な食習慣がほとんど変化しておらず,ゲストハウスの食事も,穀物,野菜,豆が中心となっている。そのため,太りすぎの人はごく少数に留まっている。

近くを歩いてみる

停電

部屋に戻ると停電になっていた。この停電は一晩続き,久しぶりにローソク生活を余儀なくされた。食堂ではガス灯が用意され,僕はビリヤニとヨーグルトの質素な食事をとる。

食堂のマネジャーの話では,この地域の電力をまかなっているのは近くの水力発電所であり,雪解け水の季節は水流が強すぎるため土砂が流れ込み,清掃のために24時間は停電になるということだ。

この地域でローカル水力発電所があるとは初めて聞いた。水力発電は水の位置エネルギーを電力に変換するので一種の自然エネルギーであり,二酸化炭素の排出量は火力に比べて桁違いに小さい。とても環境にやさしいエネルギーであるが,冬期はどうなるのかな。

岩山の上には数十羽の黒っぽい鳥が舞っている

今日はススト(104km)→クンジュラブ峠(128km)→タシクルガンと移動する予定だ。バス会社からは08:30にカスタムのところに来てくれと言われている。06時に起床し朝の散歩に出かける。素晴らしい天気で,空の青さがすごい。

川向こうの岩山の上には数十羽の黒っぽい鳥が舞っている。岩山の上昇気流を利用して高度を上げようとしているようだ。KKHを歩いていると垣根にカラスほどの大きさで,クチバシは黄色い鳥がとまっていた。色から判断するとさきほど上空を舞っていたものにちがいない。

早朝の山登り

近くの斜面からカテドラル・ピークスに連なる山が顔を覗かせている。あの斜面を登ったらどんな景色になるのだろうと思い,時間もあるので登る上ることにした。確かに登るにつれて景色は変わっている,斜面の尾根からの眺めはまあまあのものであった。

ススト(230km)→タシクルガン(291km)→喀什 移動

KKH(カラコルム・ハイウエイ)を通り,中国に抜けるルートは冬の間は閉鎖される。確実に通れるのは5月から10月中旬くらいまでとなっている。その期間内でも融雪やモンスーンにより泥流,崖の崩落が発生し,何日かは通行不能になることもある。

08:15に宿の斜め向かいにあるカスタムに行くとまだ業務は開始されていなかった。国境を越える人たちは裏庭でしばらく待たされる。トラックが大量の荷物を運んでくる。それらはすべて中国に輸送されるものだ。カスタムの役人はそれらの大荷物を隅から隅まで徹底的に調べる。外国人のチェックは比較的簡単とはいえ,僕のザックも開けさせられ,袋の中身まで調べられた。

パキスタン人のチェックはさらに厳しく,商品の包装なども破られてしまう。骨董品の金属容器などはドライバーで穴を開けて中をのぞきこむほどの徹底ぶりだ。薬や石けんなどのチェックは非常に厳しく,係官の判断で簡単に没収される。

チェック済みの荷物は建物の床に集められ移動禁止である。当然,このチェックはずいぶん時間がかかり,カスタム・チェックが終了したのは11時近かった。2台のNATCOのコーチが乗客を少し離れたイミグレに運んでくれる。ここでもパキスタン人の乗客の一人が中国ビザの有無で問題があったらしく45分ほど時間がかかり,出発は11:30となった。

中国製のトレーラーがスタックしている

コーチは動き出してから1時間もしないうちに停車した。中国製のトレーラーがたくさん並んで停まっている。トレーラーの隊列の先頭に出ると,小さながけ崩れのところで,空荷のトレーラーがスタックしている。

この辺りの崖は」かなり風化が進んでおり,ちょっと水が流れると簡単に崩れてしまう。トレーラー・ヘッドは土砂の盛り上がったところを越えられたけれど,長い荷台が土砂をまたぐようにして動かない。

トレーラー・ヘッドが少し持ち上がるようなかっこうになっており,そのため動力が路面にしっかり伝わらない。車輪の下の土砂をスコップで掘り,多くの乗客が後ろと横から押して,ようやく巨大なトレーラーは動き出した。

大仕事を終えた乗客はがけ崩れを起こした沢の水で手を洗い,ペットボトルにくんで飲んでいる。僕も冷たい水で手と顔を洗う。トレーラーの脱出劇にはおよそ1時間を要した。

道路が水没している

第一関門を突破して,13:30にコーチはこの1週間ほどKKHを不通にしていた現場にさしかかった。なんと道路が水没している。水没地点の少し下流側にがけ崩れがあり,川の一部がふさがれていた。そのため水位が上がり道路に冠水したようだ。

川の流れを阻害している土砂は簡単には除去できないため,道路のあったところに小石を敷いて仮設道路を造る工事が進められている。ようやく,車1台が通れる幅の石の道ができあがったのだ。崖側の水はまだ引いておらず,仮設道路は水の中道になっている。我々が通った時も工事は続いており,ダンプカーが石を仮設道路に下ろし,重機でならしていた。

この辺りはほとんど垂直の岸壁になっており,徒歩で迂回するにはかなり通り回りしなければならない。仮設道路がとりあえずできたのはラッキーである。

水没地点の向こう側でバスを乗り換える

水没地点の向こうにはNATCOのバスが待っており,そこで荷物と乗客の乗換えとなる。結局,乗換えが完了しバスが動き出したのは1時間後であった。

こんなときパキスタン人は我勝ちにバスの席を占拠する。チケットにはバスの座席番号が記載してあるが,そんなことはまったく気に留める様子は無い。それでも,定員オーバーにはなっていないため,なんとか席を見つける。

バスが走り出してしばらくすると,パンジャブ人とパシュトゥーン人の間で激しいいい争いが始まる。個人対個人のものではなく,民族集団同士のものである。双方とも激高し,いまにも掴みかからんばかりであるが手は出さない。

こんなとき僕はパシュトゥーンの味方をしたい気分だ。頬ひげをのばし,いかつい体をしたパシュトゥーン人はとても人なつっこく,旅行者にも親切である。それに対して平地のパンジャブ人は「我々こそがパキスタンの主要民族」だというおごりが見え隠れしている。

バスはあえぎながら高度を上げていく。バスの窓は色付きのガラスになっており,写真はフィルターを通したような色合いになる。16時頃から谷が開けてきて周囲の風景が楽しめるようになる。

谷のすぐそばまで氷河が迫っており,すごい風景が広がっているが少しガスが出てきて,くっきり見えるというわけにはいかない。17時頃通過したフンジュラブ峠もガスであまり視界はきかなかった。

タシクルガンで食事をしてバスを乗り換える

パキスタンと中国の時差は3時間である。南から北にちょっと移動して時差3時間といわれてもまったくピンとこない。ということでタシクルガン到着は中国時間では21:30である。とはいうものの実質的には18:30なのでまだ明るさが残っている。カスタムの荷物チェックは前回と同じくらい厳しかったが,所要時間は30分とはるかに短くて済んだ。

通常はタシクルガンで一泊して翌日カシュガルに移動することになる。ところが,タシクルガンのイミグレーションの前にはミニバスとバスが停まっており,カシュガルまで行くという。バスで一緒だった日本人2人と一緒にそのままカシュガルまで移動することにした。

ミニバスに荷物を乗せ,近くにある中華食堂に行き,夕食をとる。久しぶりのラグマンはとても新鮮な味に感じる。なぜか丼に入っているのはごあいきょうというものだ。

我々がバスに戻ると席はパキスタン人に占拠されており,荷物は床に置かれていた。これがパキスタン流であり,文句を言っても知らぬ顔である。もっともこれが逆の立場ならひどいことになったことだろう。

しかたがないので,荷物を持って大きいほうのバスに移動する。こちらは後ろ半分が空席であり,足を伸ばして横になれるのでありがたい。ケガの功名というところだ。

カラクリ湖のあたりではすきま風が冷たい。カシュガル到着は04時,どこかの路上にバスは停まりそこで降ろされそうになる。中国人の乗客が抗議をしてバスは色満賓館の前まで行ってくれた。


フンザ   亜細亜の街角   喀什