亜細亜の街角
■スールヤ寺院は外から眺める
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コナーラク  (地域地図を開く)

オリッサの海岸にある小さな町,内陸のブバネーシュワル,海辺のプリーと一辺40kmの正三角形の位置関係にある。この町が旅行者をひきつけるのは13世紀に建立されたスールヤ寺院である。

インド中部の東海岸にあるオリッサ地方はかってカリンガと呼ばれていた。インドで初めての統一王朝であるマウリヤ朝のアショカ王がこの地域を征服したときは数十万人の犠牲者が出たとされている。

マウリヤ朝以降はインドの大半を支配するような強大な王朝は現れず,オリッサ地方には地域王朝のもとに独自の文化が育った。ここでは7世紀から13世紀にかけて寺院建築が発展し,カジュラーホと並んでインド北方寺院建築の代表的なものが生まれた。

スールヤ寺院はコナーラク最大のかつ唯一のみどころである。スールヤはヒンドゥーの太陽神,寺院全体が天空を行くスールヤの馬車を模しており,1984年ユネスコ世界遺産に登録された。

プリー→コナーラク 移動

プリー(08:50)→コナーラク(09:40)と約35kmをバス(15Rp)で移動した。ようやくひどい宿と性質の悪いリキシャーの多いプリーともお別れである。体の調子は引き続き快調である。

いつものグリーンハウスで朝食をとる。ジャガイモの塩茹で,オムレツ,ホットレモンの組み合わせで29Rp,まあまあの値段である。宿に戻りチェックアウトする。宿の主人とは全然会話がない。去り行く客はもうどうでも良いというような態度である。最後の最後まで気分の悪い宿であった。

最後の難関は2kmほど離れたバス・スタンドまでのリキシャーである。宿の近くに待機していたリキシャーは30Rpだという。バカと日本語で言って歩き出すと追いかけてきて20になる。せいぜい15Rpでしょうと告げると,近くで聞いていたリキシャーがその値段で行くと言ってくれた。BSに到着するとリキシャーがコナーラク行きのバスを見つけてくれた。

座席数16程度のマイクロバスである。男性が2人腰をかけるととても狭い。そのバスに定員の2倍の乗客を詰め込む。風がほとんど入らず,窓はすりガラスのため外も見えない状態で,じっとがまんの1時間を過ごす。


Hotel Pantha Navis

コナーラクはほんとうに小さな町だ。スールヤ寺院がなければただの漁村にすぎない。まともな宿泊施設は政府系のものが2軒あるだけだ。最初に「Yatri Nivas」を訪ねる。広い庭をもつ立派なホテルで,部屋も広くて感じがいい。料金を聞くと200Rpだという。オープン当初は60Rp,それが90→150→200となったとマネジャーが説明してくれた。

2泊で300Rpでお願いしたら,スールヤ寺院の正面にある「Pantha Navis」を紹介された。彼の紹介状により宿代は2泊で300Rpになる。部屋は12畳,2ベッド,蚊帳,机,T/S付きで清潔である。シャワールームにガマ蛙を一回り小さくしたカエルがいたのはご愛嬌である。

僕が到着したとき,屋上の水タンクを清掃していた。海岸が近いのでタンクに細かい砂が入り込むようで,下の栓を抜くと,砂混じりの茶色の水が流れ出していた。この清掃のため,しばらく部屋のシャワーからも茶色の水が出ることになった。

海岸から戻ってシャワーを浴びようとすると水が出ない。マネジャーに言うと周辺の配管をたたき出した。屋根の上の配管をたたくと砂まじりの水が出てきた。清掃作業によりタンクの砂が配管に溜まってしまったようだ。

海岸まで2kmを歩く

コナーラクではほとんどリキシャーを見かけなかった。バススタンドと唯一の観光ポイントのスールヤ寺院まで400mほどしかないので,利用客がほとんどいないようだ。もっとも,宿から海岸までは2kmほど歩くことになる。道端にはウチワサボテンが群生しており黄色の花を付けている。乾燥に強そうな植物が大きな群落を作っている。

灯台が見えたらゴールは近い

オオギヤシが出迎えてくれた

海岸の風景

海岸はプリーと同じように右の観光地域,左の漁師村とに分けられている。観光地域の砂浜の近くには小屋が並び,よく冷えた(氷で冷やしてある)飲み物も売られている。スプライトは8Rp,暑い中を歩いてきたので炭酸が喉に心地よい。

ともあれほとんど人気のない観光地域の砂浜に坐り,昼下がりの穏やかな表情を見せているオリッサの海を眺める。ここは遠浅の海になっており,広い砂浜が広がっている。遠くの青い海からうねりが押し寄せてきて,砂を巻き上げ,茶色になって砂浜を舐める。

寄せる,引く,規則的な繰り返しを何も考えずに眺める。目の前で際限なく繰り返される,地球のリズムのような水の動きを見るともなしに見ていると,頭の中の空白領域が広がってくる。

旅行中だからできるいわゆる「ぜいたくな時間」である。沖には漁師の小舟が浮かんでいる。三角形の帆を張った舟は絵になる。気を取り直してカメラをかまえる。

女性たちは漁船が戻ってくるのを待っている

浜辺の北側には漁師の村がある。昼下がりの砂浜で女たちは漁船が戻ってくるのを待っている。彼女たちにとっては家事から解放され,楽しいおしゃべりの時間帯のようだ。

子どもたちは服のまま海で遊んでいる。強い日差しのせいで見事に日に焼けている。一人の子どもの写真を撮ると,近くの子どもたちが集まってくる。ここでは「1ルピー,パイサ」の要求はプリーよりずっと控えめである。

海で遊ぶ子どもたち

これから漁に出る小舟があった。子どもたちが舟にまとわりついている。白い海岸の波を越えて舟は沖に出て行く。子どもたちの遊ぶ範囲はそこまでである。浜辺に子どもたちが戻ってきて,今撮った画像をみせろと要求する。日差しが強いので液晶画面を手で覆って見せてあげる。歓声が湧き,今度は集合写真の要求がくる。

これがインド東海岸の乾季の原風景なのだろう

土産物屋などが並ぶ

スーリヤ寺院の見学は明日となる

キフイリウスバリュウゼツランかな

二種類の世界遺産のプレート

10ドルではおつりはないと言われ・・・

スールヤ寺院のある土地は周辺から2-3m低くなっている。おそらく,寺院が放棄されたあと,土砂が堆積したものであろう。寺院の周囲は緑豊かな公園となり,榕樹の木が曲がりくねった幹から枝を広げている。

近くにはヒンドゥーの寺院もあり,お参りに訪れる観光客もかなりいる。公園と寺院の境界は周辺の土地の高さに合わせた石垣で囲われており,そこを通って寺院の回りを一周することができる

外国人の入場料は5$/250Rp,世界遺産に登録されたので周辺が整備され,入場料が上がったのであろう。もっとも,周囲を取り囲む石垣から見る分には無料である。夜間もライトアップされているのでそれなりに楽しむことができる。

ドルとルピーの両替レートは1$=42.5Rpなのでドルの支払いの方が断然得だ。窓口で10$を出すとおつりは無いと言われた。おつりはルピーでもダメだという。これには困った。

しばらく外国人旅行者を待っていたが,あきらめて,石垣の上から眺めることにする。今にして思えば,たかが15Rpのことで世界遺産の精緻なレリーフを見なかったのだから,我ながらケチをした。まあ,石垣からでもスールヤ寺院全体と基本的な構造は十分に分かる。

スーリヤ寺院|舞堂(ナート・マンディール)

寺院は13世紀に建設され太陽神スールヤに献納された。寺院は前殿と本殿に分かれている。前殿の壁面と基壇には楽士や踊り子が多く彫られているので,これは神に歌舞音曲を捧げるための「舞堂」であったろうと推測されている。

この地域の寺院では「マハリ」と呼ばれる巫女が,神々に奉納の踊りを舞っていた。12世紀頃に始まったとされており,オディッシー(オリッシー)・ダンスとしてインド四大古典舞踊に含まれている。

寺院の彫刻が動き出したかのような踊りであることから,オリッシー・ダンスは「動く彫刻」と呼ばれている。残念ながら僕は現地ではこの踊りを見ることができなかったが,映像で見る限りでは独特の衣装と優雅な動きをしており,非常に絵になるものである。

また,首,手の指先,両眼の動きには意味が含まれているとされ,インドネシア・ジャワ島の踊りににも通じるものがある。ジャワ・ヒンドゥーがインドのどの地域からもたらされたものか興味も湧く。

舞殿の基壇と前殿(拝堂)の基壇は連続していない

スーリヤ寺院|前殿(拝堂)は馬車の造形となっている

寺院は全体が天空を行くスールヤの馬車をかたちどっており,東に面した前方の階段には7頭の馬,本殿基部には12組24個の車輪が彫られている。車輪は日時計になっており,各時刻における日々の営みが刻まれている。

本殿にはジャガモハン(拝堂)とレカー・デウル(高塔)が配されている構成になっているが, 現存しているのはジャガモハン(拝堂)だけである。レカー・デウル(高塔)は完全に崩壊してしまった。拝堂が高さ38mなので高塔は60-75mはあったと推測される。遺跡として保存されるまでここが石切り場になっていた。

前殿,ジャガモハン(拝堂),レカー・デウル(高塔)は一直線の東西軸を作っており,7頭の金色の馬に引かれた馬車に乗り,天空を東から西へかける太陽神スールヤのイメージがそのまま寺院の造形となっている。

前殿(拝堂)の上にあるピラミッド状の屋根もみごとだ

寺院の全景と部分の拡大

遊歩道の周囲には多くの装飾のある石材が置かれている

遺跡公園の周囲は石垣がめぐらされており1周することができる。ここは無料のエリアなので滞在中何回か回ってみた。石垣の近くにはレリーフの施された石が無造作に置かれている。置かれるいうより,捨てられているといった方がぴったりする。

観光客は平気で石の上を歩き回り坐ったりしている。おそらくレカー・デウル(高塔)を形作っていた石であろう。遺跡保存前に多くの石が持ち出されてしまったので,高塔を再現するのは無理のようだ。

戦士と馬の像

家族と一緒に参拝に来た少女

隣りの寺院にお参りする人もいる

カシューナッツはこのように実をつける

遊歩道の外側は深い森となっている

日ざしを避けココナッツを商う

考古学博物館

考古学博物館は行く価値がある。石像,レリーフ,工芸品,織物などが展示されている。特に石像やレリーフは素晴らしいものが多い。

寺院の壁面をそのまま持ってきたと思われる展示物は,美術的に高い価値がありそうだ。バッグ類の持込は禁止されているが写真撮影はOKである。スールヤ寺院以外は見るところもないコナーラクではお勧めの施設である。

日影で一休みする参拝客

土産物屋

世界遺産に登録されたためスールヤ寺院の周囲は,当局の許可が無いと建築物は建てられないようだ。道路を挟んだ東側に政府系のホテルや土産物屋がある。なかなかおもしろいものが多く一通り見てしまった。

ヤシ殻の繊維で作った動物,貝殻細工,色とりどりの飾り物,まだまだ旅は続くのでお土産にはできない。酷暑にあたる4月はときどき来る団体を除くと客もまばらで,店の主も昼寝の時間帯である。

■調査中

日陰に露店があるので写真はどうしても暗くなる

りっぱなインドこぶ牛

道路工事の邪魔をする

通りを歩いていると道路工事が行われていた。道路の端にコンクリートで溝を作っている。例によってねったセメントの入ったザルを頭に乗せて運んでいる。

その姿を写真に収めると,みんな集まってきて集合写真を撮れという。女性のグループを撮ると今度は男性のグループが並ぶ。とうとう工事監督がでてきて,仕事のジャマになるのでやめてくれと言われた。


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