亜細亜の街角
■バングラデシュ随一の港湾都市
Home 亜細亜の街角 | Chittagon / Bangladesh / Mar 2005

チッタゴン  (地域地図を開く)

ダッカから南東に268km,ベンガル湾に面したチッタゴンはバングラデシュ第2の都市である。古くからの港町で,現在もこの国の貿易を一手に引き受ける港湾都市である。ベンガル湾に面したと表現したが,実際にはコンノフリ川の河口に面したという方が正しい。

街の南を流れるコンノフリの川幅はおよそ1kmに広がっている。港湾施設はベンガル湾ではなく,コンノフリ川を少し内陸に入った所にある。このあたりでは,チッタゴンから南に向かうための橋はおそらく一つであろう。

チッタゴン中央駅から西に2kmほど離れたところにコンノフリ橋がかかっており,バンドルボンから移動するときもこの橋を通った。この橋の上から眺めると,大小さまざまな船の数に驚くことになる。

街の中心は駅前のニューマーケットであり,宿もこの辺りに多い。チッタゴンのバススタンドは中心部から離れており,市内に移動するためにはニューマーケット行きのバスを探すのがよい。市内は比較的分かりやすいので歩くのには問題がない。しかし,コンノフリ川の周辺は迷路のようになっており,目的の場所に行き着くのは困難である。この地域の行き来はいつもリキシャーのお世話になった。

バンドルボン(70km)→チッタゴン 移動

バンドルボン(08:35)→チッタゴン・ボッタハットBS(10:45)→ニューマーケット(11:15)とバス(45タカ)で移動する。バンドルボンの町では一度もリキシャーに乗らなかったので,最後にリキシャーで500mほど離れたバススタンドに向かう。

チケットはすぐ買うことができ,20分ほどたってからバスは出発した。軍隊による検問所がいくつもある。何のために,誰のためのものなのだろう。あなたたちの守るべき人々は被害を受けている人々ではないのか。

バスはチッタゴンに近づく。コンノフリ川にかかる橋を渡るとバスは北に進み,バススタンドに到着した。地元の人は「ボッタハット」と言っていたが,地図では確認できなかった。何人かに「ニューマーケット」行きの市バスについて聞いて,ようやくNo.1のミニバスでニューマーケットに出ることができた。

Hotel Dream

ニューマーケットから駅の前を通り西に行くと何軒かのホテルがあり,「ホテル・ドリーム」に泊まることにした。部屋(210タカ)は8畳,1ベッド,机,T/S付きで清潔である。ただし,洋式トイレの水洗機能が働かず手桶で流すことになった。

となりには,Asia Star という新しいホテルがオープンしていた。ここはシングル,エアコン無しで500タカである。

駅の北側は巨大なマーケットになっている

図と磁石を頼りにコンノフリ川まで歩いた。コンノフリ川はチッタゴンの南を流れており,バングラデシュ第2の港湾都市とベンガル湾を結んでいる。宿の東側,駅の北側は巨大なマーケットになっている。そこには果物,干物,クツなど特定の商品の店が集まっている。

果物屋で珍しいものを見つけた。一つはメロン(と思う),大きさはカボチャ大,表皮は黄色で縦にたくさんの筋が入っている。色の具合もありバナナを寄せ集めたようにも見える。もう一つはオウギヤシの実である。大きさは直径20cmほど,固い表皮とヘタをもっており,確かにヤシの仲間である。

道路の横には露店の果物屋がたくさん並んでいる。歩道には不要になった皮や傷んだ品物が捨てられており,まるで生ゴミ通りのようになっている。中央駅は近代的かつきれいだ。しかし,周辺の空き地はいろいろなものが臭うし,駅にたむろしているガキどもはうるさい。

通りや下水をゴミ捨て場にする習慣は,他の町と同じだ。旅行人には「バングラデシュの中ではゴミの少ない町」と書かれているが,この記述は訂正が必要だ。

チッタゴンの駅構内

チッタゴンの中心部には英語の看板も多い

路上営業|リキシャーを修理する

路上営業|履物を修理する

今日は金曜日なので結婚式が多い

今日は金曜日なので結婚式が多い。ちょっとお邪魔してみると,着飾った花嫁が女性や親族の男性に囲まれている。インド圏では花嫁衣裳は赤と金色のサリーと相場が決まっているようだ。贈り物の装身具や貴金属をすべて身にまとい,あでやかである。たいていの場合,結婚式ではふだん難しい女性の写真もOKである。

広間では男性の参列者が盛大にごはんを食べている。テーブルの中央にごはんの盛られた大皿が置かれ,その横に何種類かのカレーの皿が用意されている。ごはんとカリーを自分のさらによそい,手でかき混ぜながら食べるのがこの国の流儀である。飲み物は水かコーラに限定されている。

ダイニングルームの裏手では20人ほどの男女が食事の準備をしている。4個の大鍋が煮立っており,この調理場の一画はひどく暑い。コンクリートと思われる床の上にじかに置いた3個の石がかまどになり,その上に大鍋が置かれている。

燃料は薪で火力は強い。ちょっと待ってよ,ここは2階のはずだ。そんなところでどんどん火を焚いたらコンクリートの床はどうなるの。

調理場のとなりでは,女性たちがジャガイモの皮をむいている。インド圏の一般家庭には我々の知っている包丁やまな板はない。鎌のような形状の刃物を160度くらいの角度で台に固定し,それにジャガイモを押し当ててて皮をむいている。

ジャガイモを切るときも両手で押さえながらスパッと切る。慣れないととても危険な作業に見える。少なくとも僕自身はあの刃物を試しにでも使いたいとは思わない。

小さなうちから水運びをする

コンノフリ川の風景

駅から1kmほどのところにある船着場の近くに来ても家並みや塀のためになかなか川にはたどりつけない。試行錯誤の結果ようやく川に出る。大小の船の数に驚ろかされる。しかし,岸に停泊している船にじゃまされて川の全貌は見えない。船の停泊していないところでは人々が水につかったり洗濯をしている。

川岸には船が何列にもなって係留されている。川を見るためには,船伝いに一番外側の船まで行かなければならない。船員たちはにこやかに僕を案内してくれる。船着場はここから2km以上離れたコンノフリ橋のあたりまで続いている。

しばらく川の風景を見学してから渡し舟で対岸に行く。この渡し舟は乗り合いのものだと思っていたら水上タクシーだったらしく,50タカを要求されて非常に不愉快な思いをした。

コンノフリ川の対岸も船また船の風景であった。客船,貨物船,漁船に加えて小舟が動き回っている。はるか遠くにはコンノフリ橋が2本の白い帯になって川を横切っている。近くにフェリー乗り場があり,ちょうど出たところだ。

フェリーで対岸から戻る

おもしろそうなので少し待って帰りはフェリー(3タカ)にする。フェリーの船着場は浮き桟橋になっており,上下に稼動型の鉄の橋で陸上と結ばれている。フェリーから降ろされたトラックがこの橋を慎重に渡っていく。

黄色のフェリーは両横が4mほどの高さの客室になっており,片側には機関室もある。前部と後部はフェリーの床と同じ高さで,下部が1mほど切れ込んでいるだけだ。

浮き桟橋にこの部分が乗り上げるように接岸する仕組みである。フェリーの喫水は50cmほどしかなく,風が強い日にはもろに波を被りそうだ。幸い今日は波もなく,ゆっくり動くフェリーから川の風景を撮る。

フェリーは行きに利用した船着場から少し東側に接岸する。コンノフリ橋までもう1kmはない。近くに貯木場があり,直径80cmほどの大木が泥の上に並んでいる。バングラデシュでこのような大きな木に出会えるとは驚きである。貯木場の向こうの泥地にはたくさんの漁船が置かれている。

バナナの集荷場

町に戻ろうとして歩き出すとバナナの集荷場がある。ここではバナナはまだ青いうちに房を支える茎ごと切って集荷する。集荷場には房を下に,逆J字形の茎を上にして置かれ,建物の前のスペースを完全にふさいでいる。船でここまで運ばれ,各地に出荷されるのであろう。トラックが横付けされ男たちは大きなバナナの房を積み込む。

かわいいモデルさんを見つけた

水場の風景

漁船の風景

遊び道具を手作りする

シタクンドゥに向かう

チッタゴンから北に37kmのところにシタクンドゥというヒンドゥー教の聖地がある。宿の受付で生き方を教えてもらい,リキシャーで駅から1kmほど西側にあるゴドゥントリBSに向かう。ゴドゥントリはけっこう大きなBSで,本来の広場だけではなく周辺の道路もバスに占拠されている。

チケットを買い,発車時間を確認すると9時だというのでしばらく周辺を歩いてみる。あまり良い写真の題材には巡りあえずバスに乗る。客待ちのためバスはしばらく発車しない。

ここは大きな道路の交差点になっており,交通量は多い。自転車リヤカーに宣伝用の看板を乗せた一群がやってきた。あわててカメラを取り出す。バスと街宣車の間にいろんな乗り物が割り込んできて,シャッターチャンスがなかなかこない。ようやく一枚をものにする。

バスは満席+α になってからようやく発車した。道路は悪くない。雑多な乗り物をクラクションで脅し,かきわけるようにバスは進む。シタクンドゥの途中にバティリアの町がある。ここは船の解体所がある。道路の両側には,船の備品が種類別に売られている。

下車したものの勝手が分からない

シタクンドゥで下車したもののさて聖地とやらはどこにあるのだろう。何となく勘を働かせ,北東に向かう横道に入ったら正解だった。道の両側には土産物屋が並んでいる。暑い季節のためか巡礼や観光客は少ない。

洗濯する少女

ネクタイ制服の小学校

小さな学校があり,濃い緑色の小ぎれいな制服を着た子どもたちが中庭で遊んでいる。男の子も女の子もワイシャツに慣れないネクタイをしめているブランコに乗っていた何人かをまとめて撮ると,たくさんの子どもたちがどっと集まってくる。その数50人というところだ。多すぎて集合写真に入りきれない。とりあえず男女別に分けて集合写真をとる。

洗濯半分・遊び半分

道の横に大きなため池がある。岸辺から水の中まで続くコンクリートの階段になっているところがあり,女性たちが洗濯をしている。そこに2人の子どもが洗濯物をもってやってきた。彼女たちは洗濯半分,水浴び半分で水と戯れている。

岸に上がってきたところを一枚撮らせてもらう。お礼に池の水でヨーヨーを作ってあげる。そこへ,友達がやってきて都合4個を作ることになった。ため池の中では洗濯をしていたおばさんがゆうゆうと泳いでいる。

カラフルなヒンドゥー寺院

3kmほど歩くと感じのよいヒンドゥー寺院がある。ここは聖地の一部になっているようだ。

寺院の裏手の池は聖なるもののようだ

寺院の裏手には大きな池があり,ここは聖なるもののようだ。人々は競って背後にある池に向かい,その水に足を浸したり水を頭につけている。小さな子どもを沐浴させようとしているが,子どもは泣いて抵抗している。

池の対岸には直方体で上部が四角錐になった小人の家のようなものがたくさん並んでいる。輪廻転生の考え方があるヒンドゥー教では,肉体は仮の入れ物のため墓を作らないし,どうも信者が寄進した小さな祠のように見える。

寺院から先はほとんど巡礼者はいない

大半の観光客(巡礼者)はここで引き返す。ここから先は山道になり,100mほど上ったところに古い寺院がある。冷たい水が売られていたので1.5リットルのボトルを買う。暑さのため水の消費量がすごい。

ここから少し行くと聖地の白い寺院が山の頂に小さく見える。そこまではさらに250m登らなければならないと言われ聖地巡礼は断念する。

集落の風景

町に戻って昼食を探す。食堂に入って注文をしようとするが言葉が全く通じないのであきらめて外に出る。見かねた人が近くのもう少しましな食堂を紹介してくれた。ごはん,チキンカリーそれにエスプレッソをつけて56タカである。バングラデシュで初めてのコーヒーはなかなかのものであった。

帰りのバスはすぐにつかまえることができた。ミニバスは座席がいっぱいだったのでエンジンフードの上に坐ることになった。料金は15タカ,来るときのバスは50タカもしたのに帰りは格安であった。

ニューマーケットで買い物

ミャンマーで買った補助食のチーズが無くなったので夕方にニューマーケットで探してみた。しかし,家電製品や衣類がメインで食品売り場はどこにもない。

迫力ある干物

魚の乾物屋をのぞいてみる。暑い気候のため魚はすぐに痛んでしまうので,干物は貴重なタンパク源を保存する生活の知恵である。日本人は干物というと大きくともサバくらいまでしか想像できないが,ここでは1mを越える大きな魚が干物になっている。

そのくらいの大きなものでは,開きにしただけでは乾きが悪い。そのため身を縦方向に細く切ってある。魚の風貌がとても迫力があるの撮らせてもらった。

停電

チッタゴンは停電が多い。日に2-3回は確実に起きると思ったほうがよい。昨日の朝は起きたときから停電,今日は夕食から戻ってきたときに灯りがつかず,しばらく待機していた。停電で困るのはファンが回らないことだ。さすがに暑さに耐えられず外に出ることになる。

フィッシャリ・ガット

今日の予定はフィッシャリ・ガットとコンノフリ橋を見ることである。中央駅に明日のラクシャム行きのキップも買いに行かなければならない。

宿の前からリキシャーでフィッシャリ・ガットまでは10タカを払った。約束の料金は8タカであったが,坂が多いこと,そして渋滞で時間がかかったことからに少し多めにした。

フィッシャリ・ガットはコンノフリ川沿いの船着場だ。名前のようにたくさんの漁船が係留されており,魚が水揚げされるところだ。。周辺の道路はとても複雑で分かりづらい。また地元の人はほとんど英語が通じないので,行くのならニューマーケットからリキシャーを利用したほうがよい。

リキシャーの値段は原則として距離で決まる。外国人の僕が利用しても1kmあたり5-10タカといったところだ。たぶん地元の人たちはもう少し安い料金で利用しているのであろう。

リキシャーは1人でも2人でも同じ値段である。体格の良い女性を2人も乗せると大変な労力になる。子どもの場合は乗せ放題,中には6人が乗ったリキシャーを見かけたこともある。

フィッシャリ・ガットに向かう通りは魚を運ぶため泥でグチャグチャになっており歩くのは容易ではない。そこをリキシャーや荷車が通るので,避けるのがとても難しい状態だ。

この近くには魚市場に相当するものが無い。道路の両側や広場で細々と取引が行われているだけである。停泊している漁船はこの国のものとしてはかなり大きく,冷凍設備をもっているのか,冷凍魚が多い。

店の前のコンクリートのたたきでエイをさばいているのでしばらく見学する。男性が刃物で本体の頭部から尻尾の付け根まで楕円形に皮をはいでいる。前部には大きなエラがあり,回りはピンク色の肉がむき出しになる。

魚食いの日本でもほとんどエイを食べることはない。この国では魚料理といえばカレーしかお目にかかったことがない。このエイはどのように調理されるのであろうか。

サメは「ふかひれ」をとるため比較的ていねいに扱われる。ヒレをとったあとは肉にされる。氷が大量に使用されており,大八車で運び込まれる。氷は地面に無造作に置かれ,そのまま砕いて使用される。辺り一帯の臭いはひどい。それは多くの地域で市場を見てきた僕にとってもひどいものだった。

ガマの油売り

通りから少し入った広場に人が集まっている。人だかりの中心に木箱があり,マングースがつながれている。香具師の男性が持っている袋の中にはコブラが入っており,それをマングースと戦わせることで人を集める。

売り物はキズ,打ち身などに効くという軟膏である。インド圏ではよく見かけるおもしろい商売であるが,薬の効き目は不明だ。また,実際にコブラとマングースが戦っている場面も目撃したことはない。

干潮時には漁船は泥の上である

新造船の形が出来上がってきた

ここでは潮の干満で生活時間ができているようだ

網の修繕かな

荷車の上でポーズを取る

魚は小売りだけとなっている

マングローブガニ

これはいくらなんでも乗りすぎでしょう

これから学校なのだろう

なんとなくおもしろいポーズであった

凛々しい顔立ちだね

今朝も宿の窓から通りを眺める

コンノフリ川の橋

街の西側にコンノフリ川に架かる橋がある。午後はニューマーケットからリキシャーに乗って出かける。リキシャーは車の多い通りを走ることはできないので,小さな通りを遠回りをし,最後は両側に露店が並ぶ土手の道を走り橋に着いた。これでは料金の20タカも仕方がないかと納得する。

コンノフリ橋は鉄骨を組み合わせた無骨な古い鉄橋である。バンドルボンからチッタゴンに来たときこの橋を渡った。立派な鉄橋なのに車が走る路面は板材が敷かれている。

振動もひどいし騒音もひどい。入口に2本の鉄柱があり,その幅以上の車は通行できない。バスが通るときは左右の隙間はほとんどない。

橋の両側は鉄骨で区切られ狭い歩行者用道路になっているが,そこをリキシャーやベビータクシーが通るのでけっこう危険である。リキシャーとすれ違うときは車道側の鉄骨の横に身を隠さなければならない。

歩道の外側の手すりと歩道の端が30cmも離れており十分に落ちる危険性がある。はこの橋から見ると川に浮かぶ船の多さに驚くであろう。残念ながら少し遠いので写真写りはイマイチである。

ニューマーケットの賑わい


バンドルボン   亜細亜の街角   タンガイル