亜細亜の街角
■ピンクシティはラジャースタン州の州都
Home 亜細亜の街角 | Jaipur / India / Mar 2000

ジャイプール  (地域地図を開く)

デリーから南西へ300km,広大なラジャースタン州の州都。この町は1728年にジャイ・スィン2世によって造られた。そのため「ジャイプール(ジャイ王の城壁に囲まれt町)」と呼ばれるようになった。

ジャイプールの旧市街は7つの門をもつ城壁に囲まれている。その中は,格子状の通りで区分されており,宮殿や古い町並みが残っている。旧市街のメインストリートの街並みは,ピンク色に統一されている。ラジャースタンの青空に映える色から「ピンク・シティ」とも呼ばれている。


ラジャースタンの風景

ラジャースターンは北インド北西部にあり,パキスタンと長い国境を接している,半砂漠の地域である。建物のイメージからイスラム色の強いところかと思っていたら,そうではないようだ。逆にムガール帝国に代表されるイスラム勢力と勇敢に戦った,ヒンドゥーの戦士ラージプト諸族の本拠地となったところである。

アーグラーからラジャースタンにに入ると風景が乾燥地帯のそれに変わってくる。畑の緑はだんだん少なくなる。道路の脇にはアカシヤのような小さな葉をつけた木が並んでいる。しかし,まだ砂漠の地に入ってきたという実感はない。スカーフ姿や顔を布で覆った女性たちが多くなる。

幹線道路を女性たちが頭に容器を乗せて運んでいる。水を入れたらいったいどのくらいの重さになるのだろう。乾燥地帯では水は命そのものである。

水道は都市以外には普及していないし,井戸も家のすぐそばにあるというわけではない。生活に必要な水を得るため,ラジャスターンの女性や少女は重い容器を頭に乗せる。


羊が通る

アーグラーからジャイプールに移動するとき,羊の群れに出会った。この地域では冬に毛刈りをするのであろうか,羊たちの毛は短い。ふさふさした毛の羊を見慣れているので,まるで違い動物のように見える。ラジャースターンではまだ,羊やラクダとともに生きる遊牧民が大勢暮らしている。


アンベール城

ジャイプールの見どころの一つがアンベール城である。ジャイプールから北に11kmのところにあるので,バスで移動することになる。大勢の観光客と一緒に駐車場で降りると,丘の上に巨大な城がそびえている。

豊かなジャイプール藩王国の居城として,堅固にかつ壮麗な建物が造営された。丘の下から見上げる城はあまりの大きさに全貌がつかめない。

駐車場から城の中庭までは舗装された坂道が続いている。駐車場には観光客用に象のシャトルバス・サービスが待機している。象の背中にはきれいな布がかけられ,中には鼻に花柄のペイントを施されたもののいる。定員は4人,城の広場まで1頭300Rpと記載されていた。

乗客は高い台に登り,そこから象の背中のイスに移る。タイでの経験では象の背中はそんなに乗り心地は良くない。特に斜面を移動するときは,左右に大きく揺れ小さな舟に乗って波に揺られている気分だ。

貧乏性の僕は象の横を歩いて上ることにした。ゆったりしているが象の足取りは速い。負けないようにがんばる。

門をくぐると大きな中庭(謁見の広場)あがり,象のシャトル・サービスはここが終点である。中庭に面した建物の壁面の装飾がすばらしい。

黄色みがかった茶色の壁面には精緻なアラベスク文様が彫り込まれ,ところどころにアクセントの緑の面が配されている。入口や窓の上部はアーチ状になっており,内部につながる開放空間になっている。

内部の装飾も細かい透かし彫り,ステンドグラス,小さな鏡をちりばめた壁と多彩である。中庭を挟んで反対側は王族の住まいになっていたようだ。一部は崩れてしまって入ることはできなかった。このような巨大な建造物はどうしても印象が散漫になってしまう。

インドの城はみんなそうだ。何か一つのものに印象や感動を集約しておかないと,後になってまったくイメージできないことになる。僕の場合,記憶に残るものは,中庭の装飾タイルの美しさと,下から見上げたときそびえ立つ城の威容である。

城の一角からジャイプールの街が展望できる。2つの岩山が迫り街からは隘路になっている。丘の上の城は防御に優れており,堅固な要塞として機能したことだろう。

さらに,岩山の背にはインド版の長城が走り外敵に備えている。しかし,多くの努力も時の流れには抗しきれない。主のいない巨大な城を,涼しさを運ぶ風と観光客だけが通り過ぎる。

アンベール城から下に降りると門前市のような町がある。3連の立派なシカラを備えたヒンドゥー寺院があるので見学する。相似形の小さなシカラが積み上げて大きなシカラを形成している。城はイスラム様式,ふもとの寺院はヒンドゥー,この国の複雑さの一面を物語っている。


聖なる牛

旧市街の城門にはみごとなアラビア風装飾が施されている。壁は2-3mの厚みをもっており,イラン風のアーチ型の入口になっている。

城壁の近くの広場に人が集まっている。黄色の布をかけられた立派な牛がおり,バラモン風の衣装を着た男性が集まった人々に,この聖なる牛のご利益についてであろうか,何かを語りかけている。

インドではナンディン(牡牛)はシヴァ神の従者の内で最も忠実な守護者とされており,シヴァ信仰に結びついている牡牛は聖なる動物とされている。そういえば,ギリシャ神話においても,「おうし座」のアルファ星アルディバランは「従う者」を意味がある。

古代社会の東西で,牡牛に同じ意味合いが込められたのは興味深い。古から聖なる動物とされてきた牛も,現代社会においては使役動物として扱われ,都市においてはやっかいなノラ牛として嫌われる。

デリーでは暴れ牛によりけが人が出る騒ぎとなり,街中から追い出すことが決定された。しかし,ジャイプールで見かけたこの牛は生粋の「聖なる牛」のようだ。


風の宮殿

旧市街の大通りの建物は確かに同じような色に統一されていた。建物には赤砂岩が使用されており,その色が町のシンボルカラーになっている。ピンクというよりは赤茶色に近い。

風の宮殿は大通りに面し,周囲と同じように赤い建物であった。彫刻を施したテラスがびっしりと並んでいる。なるほど,映画のセットのように奥行きがほとんど感じられない建物である。外に面した窓は外部から覗かれないようにするための仕掛けがあり,貴婦人はここから町を眺めていた。

著名な観光地だけあってどこを見学しても入場料がとられる。街全体が観光地のようになっており,人々の生活が見られなかった。僕にとっては消化不良の町であり,あまり印象の良い町ではない。



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