亜細亜の街角
■チャンディーラ王国の大いなる遺産
Home 亜細亜の街角 | Khajuraho / India / Feb 2000

カジュラーホ  (地域地図を開く)

カジュラーホはバナーラスから南西に約350km,マディヤ・プラデシュ州の北端,起伏の少ない丘陵地にある。1000年前ここで栄えた,月神チャンドラの子孫と称するチャンディーラ王朝がその最盛期(950-1050年)に築いた,寺院都市の遺跡が残されている。

14世紀に入り,この地域がイスラム教徒の支配下に入ると,これらの寺院の彫刻は偶像崇拝として破壊の対象になった。現在残っているのは85あった寺院のうち22に過ぎない。1986年ユネスコ世界遺産に登録された。


チャンディーラ王国の遺産

カジュラーホには,東西約2km,南北約3kmの地域ヒンドゥー教とジャイナ教の寺院群が散在している。それらは10-12世紀のおよそ200年間に,チャンディーラ王朝により建造されたものだ。建築様式はみごとに統一されており,ヒンドゥー北方寺院建築のひとつの完成した姿がそこにある。

この地域は13世紀にイスラム教徒により征服され,多くの寺院が破壊された。その後,この地は忘れ去られ,うっそうと茂る植物に埋もれてしまい,20世紀に再発見されるまで深い眠りについていた。現在残る22の寺院は西群,東群,南群の3つのグループに分けられている。西群には多数の寺院群が残り,塀で囲まれて公園のように整備されている。

東群にはジャイナ寺院が多く,南群にはただふたつのヒンドゥ寺院が残るのみである。現在,寺院のほとんどはインド考古局の管理下の遺跡として扱われ,実際に信仰の対象にはなっていない。

西群の中でもっとも目を引くのは,11世紀半ばに建立されたカジュラーホで最大のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院である。寺院そのものは中央の聖堂を四隅の副堂が囲む五堂形式(パーンチャラター)になっている。この形式はヒンドゥー寺院のみならず仏教寺院にも見られる。

中央の高さ 31メートルにも達する砂岩の塔はシカラと呼ばれる。この塔は相似形の小シカラが84も積み重なって,一つの大きなシカラを形作っている。奥にいくにつれて高くなる塔状部が連なる寺院形は,聖なるヒマラヤ山脈を象徴している。

外壁に施されたみごとな装飾彫刻の題材は,男神や女神,あでやかな天女たち,空想上の動物,そして「ミトゥナ」 とよばれる抱擁する男女である。この日の僕のノートには次のように記されている。ヒンドゥー寺院建築の傑作が並んでいる。地上界から聖山への高みに連なる美しいフォルム,石を切り出し,加工し,積み上げたものだ。

月神チャンドラの子孫たちの大いなる信仰心のなせる技だ。創造主がいなくなっても彼らの思いは伝わってくる。1000年前の大いなる信仰の一端でも感じてみたい。


壁面の芸術

しばらく声もなく眺めていた。寺院の壁面を2段,3段,4段と埋め尽くす彫刻,巷ではミトゥナ(男女の交合)だけが注目されるが本来の主役は神々である。強い光が一体一体の彫刻に微妙な陰影を与えている。寺院の造形美と壁面を飾る彫刻群の不思議な調和,手の込んだ外部に対して内部の造りはごく簡素だ。外に開かれた神殿がこの時代の特徴なのかもしれない。


一対の神像

ヒンドゥー教においては,神々は男女一対になって完全なものになるという。そのため,多くの神々は妻帯している。カジュラーホの寺院の壁面を飾る神像も男女ペアのものが多い。ブラフマン(梵)とアートマン(我)の合一,それを分かりやすく置き換えた男性原理と女性原理の合一,バラモン教を引き継いだヒンドゥーの世界は哲学的に奥が深い。


ビシュヌの大いのしし

他の寺院に比べてずっと小さなお堂に「ビシュヌの大いのしし」の像があった。ヒンドゥー信仰を二分するビシュヌ神は化身する。なんとブッダやラーマーヤナのラーマ王子も含まれる。化身を通して土着の神話世界と結びつくことにより,ビシュヌはヒンドゥー世界の主神に成長してきた。

神話では悪魔により海底に沈められた世界を,巨大なイノシシに変身したビシュヌが引き上げた。イノシシの体には一緒に引き上げられた無数の神々がつかまっている。人口爆発,貧困,自然資源の劣化に悩むインド,現在の悩みを救うイノシシを求め人々は祈る。


沐浴場の風景

西群の入口はメインストリートに面しており,近くには大きな池がある。そこは沐浴場でもあり,洗濯場にもなっている。家庭の生活用水もここから汲まれている。

乾期にも水をたたえる池は周辺の寺院群と同様に,チャンディーラの時代の遺産なのかもしれない。洗濯をする女性たちの声が聞こえる。近づき過ぎては失礼にあたりそうなので,少し遠くでカメラをかまえる。


元気な子どもたち

南の寺院群の川は,乾期にもかかわらず涸れてはいなかった。浅くなった川では裸の子どもたちが,カメラを気にすることなく元気に水と戯れている。自然が子どもたちの遊び場だ。失敗をしたり,生傷をこしらえたりしながら,子どもたちはたくましさを身に付けていく。過酷なインドの大地にあっては,強くなければ生きていけないのだ。


働く子どもたち

人々の生活を見るため村を歩いてみた。ここでは子どもたちはよく働く。遊びのように生活の一部になっているようだ。ピカピカに磨き上げられたしんちゅうの壷をもって,女の子が共同井戸に水を汲みに来ていた。

つるべを投げ入れ,ロープを引いて水を汲む。壺は頭上もしくは腰骨で支えて運ぶ。毎日,この作業を何往復も繰り返す。牛フンを集める子どもがいる。あらあら…,きみたちは手で集めているの。汚くなんかないよね,大事な燃料になるんだから。


真ちゅうの神像

東群の寺院でたくさんの真ちゅう製の神像が並べてあった。売り物なのかもしれない。極めて形而上学的な哲学に支えられたバラモン教においては,神像は存在しなかった。

しかし,バラモン教が土着の神々を吸収してヒンドゥー教に変貌していく過程で,星の数ほどの神々を作り出した。神々は神像やシンボルにより,目に見えたり,手に触れることのできる存在となった。


猪豚

中国南部,東南アジア,インドでは黒豚が飼育されている。中国や東南アジアのものは日本人が見ても豚という範ちゅうに入る。しかし,インドのものは野性味たっぷりである。突き出た鼻と立派なたてがみ,この動物なら十分に森で暮らしていけるだろう。このような豚が道路わきにいるとちょっと怖い。刺激しないようにそっとカメラに収める。



ヴァラナシ   亜細亜の街角   アーグラ