Home 亜細亜の街角 | Negombo / Sri-Lanka / Dec 1999

海に面したリゾートで英会話を学ぶ  (参照地図を開く)

スリランカで8週間,英会話学校に入学した。学校はコロンボから北に20kmほど離れたニゴンボという海辺のリゾート地である。学校といっても校舎は無くホテルの催場やレストランのテーブルで授業は行われる。授業は1日6時間,週5日間である。ここで,日本人が15人ほど滞在していた。授業は先生と1対1の会話を中心に進められる。文法もカリキュラムの中に入っているが,僕はひたすら会話を選択し,新聞やニューズウイークの記事を題材に会話力を鍛えてもらった。

ニゴンボは海に面したリゾート地である。数軒のホテルがあり,ヨーロッパからの観光客がたくさん長期滞在している。海辺のリゾートといっても海で泳ぐ人はほとんどいない。砂浜やテラスで肌を焼いたり,中庭のプールで泳ぐ程度である。日本の冬にあたるこの季節,スリランカの西側は乾期に当たる。海は西側に開けているので,ホテルのテラスから毎日すばらしいい夕焼けを見ることができる。


カタマランの見える風景

午前中にはたくさんの帆を張った小舟が沖合いで漁をしているのを見かけた。この舟は地元では「カタマラン」と呼ばれ,垂直のマストと斜めのマストで帆をあやつり,自由に方向を変えることのできる帆掛け舟である。朝の海に数十隻のカタマランが浮かんでいるのは,この南の海の風物詩である。

ホテルの前の砂浜にカタマランが置いてあり,船頭がひまそうに外国人観光客を待っている。僕も一度,英会話学校の生徒と一緒にこの舟に乗ってみた。エンジンが無いにもかかわらず,舟は風を受けかなりのスピードで沖に向かって行く。カタマランは双胴船で,本体の船体に加え,舟を安定させるためアウトリガと呼ばれる小さな胴が取り付けられている。適当な時間になると斜めのマストを反対側に倒し,帆の向きを変えることにより,舟は陸地に進んで行く。


満月の日はお休みで浜辺はにぎわう

スリランカでは満月の日はフルムーン・デイといって休日になる。フルムーン・デイは確か仏教の教えに基づくもので,英会話学校も休みになる。満月あるいは新月を休日とする習慣は,東南アジアの農村でも見られる。それらは,農村や漁村における人々の暮らしや仕事のサイクルが,月の運行と密接に関わっていることの証かもしれない。

人々は暑さの厳しい日中は家で過ごし,4時頃から涼を求め,家族や友人と浜辺にやってくる。満月の日には,海岸の近くは車が所狭しと並び,海岸は人々で大いににぎわう。それを目当てにアイスクリームやスナック等の屋台も出ている。子どもは服のまま海に入るが,大人は足を濡らす程度でめったに入らない。また,足の立たないところで泳ぐ人もほとんどいない。波と戯れる子どもたちの表情は世界共通である。


海辺には大きな魚市場がある

海辺には大きな魚市場がある。市場といっても日本のものとはまったく異なる。粗末な小屋で女性たちが魚を商っている。ここの魚はイワシではなく立派なものである。ダツのように細長い魚や太めのタイに似たきれいなピンク色の魚が目に付く。中には1mを越える大物がぶつ切りにされて並んでいる。それにしてもこの暑さと強い日射しの中で魚を冷やすのは大変である。もちろん冷蔵庫などはない。短時間で売りさばかないと,すぐに商品は傷んでしまう。普段はにぎわってるのかもしれないが,この日は時間帯のせいかお客が少なく,女性たちの大変さが感じられた。


結婚式は人生の大きなイベント

僕たちの宿泊していたホテルにはパーティ会場があるので,よく結婚披露宴や記念写真の撮影が行われていた。写真に関してはけっこうずうずうしい僕であるが,さすがにパーティー会場に入っていく勇気はない。出入り口のところでカメラを持ってると,親族の人が撮ってもいよと言ってくれたので,結婚式の儀式を2回見ることができた。新郎・新婦の服装は,民族服/サリー,背広/ドレスのように組み合わせがある。結婚式ではプロのカメラマンが儀式やセレモニーの記念写真をとる。当然,そのカメラマンと一緒にいると,印象的なシーンを撮ることができる。


いろんな家庭を訪問する

ヒマなときにカメラを手に町を散歩すると,いろんな家から声がかかる。ちょっとお金持ちの家では英国式のハイティーをごちそうになった。僕は作法も知らないので普段どおりにいただいた。大多数の家は日本の水準からすると貧しいレベルである。それでも子どもは子どもらしく元気に遊んでおり,日本の昭和30年代を思い起こさせる。ある家では,たくさんの子どもたちが遊びに来ており,海岸に連れていかれ,一緒にサッカーを楽しんた。クリスマスシーズンになると,多くの家では飾り付けが行われ,家庭内のささやかなパーティが行われる。そのようなときに訪問すると,ケーキやアイスクリームが出て来る。


すてきな笑顔がいっぱい

どこに行ってもすてきな笑顔に出会うことができる。子どもたちと仲良くなっていろんな家に招待された。インド圏の子どもたちの特徴の一つは「目が大きい」ことである。あのクリクリッとした目で微笑むのであるから,写真写りがわるいはずはない。

暑い国であるから子どもたちは水浴びが大好きである。水道のある所ではよく洗濯や水浴びの風景を目にする。女の子は小学校の高学年になると,大きなタライをかかえて,水道のところでお母さんから頼まれた洗濯をする。しかし,そこは遊びたい年頃である,洗濯をしながら水浴びも楽しんでいた。


学校の行事も見学した

普段,町の運動場はクリケットで遊ぶ青少年に占拠されている。しかし,この日は何か学校の行事があるらしく,大勢の生徒が集まっていたので少し見学した。緑色のワンピース,腰にオレンジ色の帯をつけた女生徒が集団でダンスをしている。

彼女たちは細身のズボンをはいており,はしたなく足を見せることはない。白い制服の一団も音楽と一緒に行進する。男子生徒は回りで見学しているだけで,最後の全員行進以外は出番はない。


孤児院を訪問 する

英会話教室の先生とひょんなことからボランティアの話になり,一緒に孤児院を訪問することになった。ここには4才から15才くらいまでの50人ほどの子どもたちが生活している。子どもたちの服装はこざっぱりとしており,明るくとても幸せそうに見えた。ベッドルームは男女別で,大きな部屋に2段ベッドが10数台並んでいた。

年長の子どもは孤児院でそれぞれの役割があるようで,洗濯をしたり未就学児童の面倒をみていた。洗濯はすべて手洗いで,かつ分量が多いので大変な仕事である。学齢期の子どもたちは学校に行っており,僕が訪問して少したってから小さい順に学校から戻ってきた。子どもたちはテーブルにつき昼食になる。給食のおばさんが金属製のお皿にごはんよそい,野菜カレーをかける。子どもたちは右手を使ってごはんを口に運ぶ。


いろいろな宗教が混在している

多民族国家スリランカでは民族と宗教が密接に結びついている。シンハラ人の主な宗教は仏教,タミール人はヒンドゥー教徒である。しかし,その他にも植民地時代に布教されたキリスト教,またとなりのモルジブもしくはアラビア商人によって伝えられたイスラム教を信仰する人々もいる。


クリスマスの飾りつけと街の表情

クリスマスシーズンになると町にはいろいろなクリスマス,お正月商品が並らぶ。花やクリスマスカードはどこの国でも定番であるが,ここでは新年を祝うための花火が並べられている。人々はいろいろなスタイルでクリスマスを祝う。

教会は当然飾り付けの対象になるし,キリスト教徒の家庭では特別な飾り付けをする。クリスマスの当日,街の道路はアーケードのように飾り付けられる。上に張られているのは魚網である。いかにも海辺の町の飾りつけらしく感心した。

近所の家のクリスマス劇に招待されたので,他の英会話学校の生徒と一緒に出席した。ある家の庭に舞台や照明が設営され,近所の人々がたくさん集まり,盛況の中で子どもたちの劇は始まった。内容はキリスト誕生を祝うものである。マリアに受胎を告げる小さな天使はちゃんとかわいい羽をもっている。劇中には煙や照明が演出され,なかなか凝ったものであった。



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