亜細亜の街角
夕日のシルエットが神秘的に美しい
Home 亜細亜の街角 | Ubud / Indonesia / Jun 2009

結婚式の準備|豚肉を調理するのは男の仕事だ

トゥガランタンのあたりで枝道を東に入り,小さな村を抜ける。再び南北方向の道に出ると,頭上にお供え物を乗せた女性たちが歩いているので後をついて行く。彼女たちは一軒の家に入る。英語のできる高校生くらいの娘さんが「明日,おじさんの結婚式があるの」と教えてくれた。昼過ぎから近所の人々が集まり,ごちそうの支度が始まった。

バリ人の大多数は土着の信仰,ヒンドゥー教,仏教が混合した独自のバリ・ヒンドゥー教を信奉しており,それに基づいた慣習様式(アダット)が生活の重要な規範となっている。現在でも寺院を中心としたパンジャールやそれを地域で細分したデサと呼ばれる地域コミュニティを単位として,様々な労働作業や宗教儀礼が共同で行われている。

逆にコミュニティの単位で全員が作業や宗教儀礼に参加できることから,バリ人の精神的満足度は非常に高いといわれている。人々は地域社会の一員として小さい頃から隣人との助け合いの心を身につけており,争いごとを好まず,性格は非常に温厚である。

このような地域共同体の精神は結婚式のように私的なお祝いごとにも発揮されるようだ。デサで結ばれた近所の人々が略装で集まり,そえぞれの役割を遂行していく。日本でもかってはこのような地域共同体が機能していたが,都市化の進展とともにその多くは失われていった。

人々の帰属意識は地域ではなく,職場や趣味を同じくする集団に移ってしまった。それは,地域のしがらみかに束縛されない自由を与えてくれた反面,地域内での人々の結びつきを希薄にし,子どもたちの社会的価値観や規範意識のある部分の喪失につながっている。

結婚式の準備|ちょっと一休み

バリ人のハレの食事は豚である。イスラム教やユダヤ教では豚は不浄の動物とされ,戒律で豚肉は禁忌となっている。ヒンドゥー教では禁忌とはなっていないものの,肉食自体が禁忌に近い状態であり,インド人の8割近くは菜食主義であるという説もある。

ところがバリ・ヒンドゥー教では肉食は禁止されておらず,豚肉や鶏肉は普通に食べられている。さすがに牛肉は禁忌になっていると思うが…。インドネシア人の90%はイスラム教徒なのでバリにやってきたら,豚肉がハレの食事のメインとなっている状態に大いに驚くことであろう。この一事だけをとってもイスラム教徒とヒンドゥー教徒の婚姻は困難である。

結婚式の準備|豚の串焼き

豚はすでに解体されており,脂身や内臓は大きな釜で茹でられていた。バリでは豚の解体および調理はすべて男性の仕事であり,二列に向かい合った集団は大きな木を輪切りにしたまな板で豚肉を細かく切り刻んでいた。別の集団はミンチ肉を作っている。

中庭では長さ1mはある炭火焼のコンロ(台)を使用して,ミンチにされた豚肉を串に付けて焼いている。なんといっても量が多いので,左右から二列に分けて盛大に焼いている。ミンチ豚肉の串焼きの作業も男性の仕事である。バリ島では一部にヤシがらの炭は利用されているようだ。この家では炭火焼の隣りで火を起こし,ヤシがらを燃やし,その熾火をコンロに移して焼いている。2本味見をさせてもらったら,スパイスが適度に効いておりいい味である。

結婚式の準備|お供え物が完成する

女性たちの仕事は供物を作ることと参加者へのごはんの支度をすることだ。色つきの蒸しパンができており,これはごはんではなく供物の一部のようだ。作業が一段落したところで女性たちはお弁当を食べ始めた。僕にも一つ回ってきたのでありがたくいただく。透明のプラスチックのお弁当容器には赤米と黒米のお赤飯が入っており,このようなものを見ると日本の赤飯の原点が南方文化であることが分かる。

おこわなので手で食べてもまったく問題はないが,バナナの茎をヘラのように加工したものが付いていた。供物の中で最大のものはガガボンと呼ばれる高さ60cm以上もあるものだ。これは中央に丈夫な植物の芯を立て,その周囲に果物などを竹串で止めていく。もちろん外から竹串が見えないようになっている。これを完成させると一仕事を終えることになる。

バリの原風景

バリ島は北側に火山列が並んでおり,11-4月の南西モンスーンの時期に湿った空気が山岳地帯の南斜面に大量の雨を降らせ,年間降水量は3000mmを越える。この水が南側に豊かな棚田の文化を育むことになる。しかし,実際には深い谷を刻む川から水田に水を引くことは大変であり,上流から下流に広がるたくさんの水田に限られた水資源をまんべんなく,平等に分配することは極めて重要なこととなっている。

そのため,古くからスバック(subak)と呼ばれる水管理組合があり,高度な給水施設の管理と水の分配を行ってきた。組合員は潅漑用水を利用する一方で水路,堰,さらには道路,稲作の寺院などの維持管理・補修などを行う共同作業に参加する義務が課せられる。ここでも地域共同体が機能している。

稲穂が黒い

水田耕作では荒起こしから田植えにかけてもっともたくさんの水を必要とし,その後,収穫に向けて水使用量は減っていく。北に行くほど標高は高くなるという地理的条件で公平な水の分配を確保するため,北から順に田植えを開始している。こうすることにより水は順次,標高の低い土地に供給することができる。一回の農耕サイクルはおよそ4ヶ月なので,もっとも南の地域の田植えは北より4か月ほど遅れることになる。

このような水利用のシステムがあるので,バリ島では同時期に田植えから収穫までのいくつかの段階の水田を見ることができる。収穫の行われている水田の中には少し黒っぽく見えるところがある。近づいてみるとやはり黒米であった。バリ島でも普通のコメは白いので,このような色つき米は特別の品種として栽培されているのであろう。

収穫作業

コメの収穫は稲の根元から切り取る。ブルーシートの上に斜めになった板を置き,そこに稲穂の部分をたたきつけて脱穀する。僕が来た時はすでに脱穀は終わっており,おじさんは稲わらを縄で縛って,それを竹の両端に差し込んで持ち帰るところであった。

この日は夕方までときどき小雨の降る困った天気であった。雨具は持っていないので通り沿いの民家の軒先で雨宿りをすることになる。するとこの家に住んでいる人が車で戻ってきた。この人たちは退職した日本人夫妻で僕がウブッに戻るとことを知ると,あそこまで歩くのは大変ということで車で送ってくれた。歩くのは苦にならないが,雨なのでお言葉に甘えることにした。ということで「タナ・ロッ寺院」の夕日ツアーは今日もお預けである。

よく登場するプルメリア

バリ島は1980年代から急速に観光化が進み,2010年の外国人訪問者数は約250万人である。観光産業を抜きにバリの経済は考えられない状況となっている。第三次産業が雇用の大きな受け皿となり,農業中心のバリ社会に大きな影響を与えている。1995年から2004年の変化でみると水田面積は9.9万haから8.2万haに減少し,それに代わり宅地(商業地を含む)は2.8万haから4.6万haに増加している。

つまり,水田がどんどん宅地化されている現状がはっきりと見ることができる。大観光地となったウブッの周辺も例外ではない。バリ島では緯度にしてウブッからデンパサールあたりのベルト地帯は古くからの穀倉地帯となっているが,この地域の観光開発の進展により,バリ島の原風景というべき棚田のビューポイントもずいぶん変わってきている。

古い石像が集結している

「Jalan Ubud Raya」を西に歩いてみる。小さな川に橋が架かっている。川自体は小さいが深い谷を刻んでおり,橋の長さは50mほどある。橋は2本あり片側はコンクリート製のもので車両の通行に使用されている。もう一方は歩行者用であり,板を敷いた吊り橋となっている。吊り橋から眺めると水面はかなり下にある。

橋の上にはイチジクのような小さな実がたくさん落ちている。このあたりには榕樹を含めイチジクの仲間の木が多い。石像の販売をしているのか,多くの頭部だけの仏像がたくさん集められている。これはちょっと不気味な感じを受ける。別のところには苔むしたヒンドゥーの石像が並んでいる。こちらは店の飾り物であろう。

精霊の木のイメージ

幹線道路から奥に入る石段があり,その両側には榕樹(現地語ではワリンギン)が繁っており,多数の細い気根が地面近くまで垂れ下がっている。光の加減で気根が少し赤みがかって見え,この時はまだ興業は始まっていなかったが,映画のアバターに出てくる「精霊の木」のイメージに重なる。

お供え物を置いて回る

この女性は金属製のお盆の上にいくつものお供え物をもって家の回りのお堂にそれらを置いていた。僕がその光景を撮影していることが分かると,家の中に入る前に笑顔を見せてくれた。外国人観光客が多いためか,バリ人のサービス精神は旺盛である。

のどかな田園風景

この辺りはまだのどかな田園風景が残されている。珍しいヤシの葉で葺かれた屋根の家がある。屋根の形が面白いので写真にする。

家庭内での儀礼

通りの近くで家庭内の儀式を行っているところがあった。この家には絵画や絵葉書が売られており,その店先で儀式は進められている。家の人たちは正装で並んでおり,テーブルの上には供物が並べられている。男性の服装は白であり,これは寺院に参拝するときの色である。家の中ではあるものの正式の儀礼なのであろう。女性が聖なる水を家の人にふりかけ,お浄めの儀式が進行している。

アヒルの行列

水田の畔をアヒルが一列に並んで歩いて行く。実はこの光景を写真に撮りたくてアヒルのいる水田を歩き回った。僕はアヒルとガチョウの識別はだいたいできると自負している。アヒルは鴨を家禽化したものであり,ガチョウの先祖は雁である。自然界における両者を比較すると,雁は首が細く長い。また,クチバシの根元のところに小さなコブのようなものがある。それに対して鴨は相対的に寸胴型である。家禽になってもこの体型の差ははっきり分かる。

しかし,アヒルと合鴨(アヒルとマガモの交雑種)となるとなかなか見分けはつかない。もっとも自然界でマガモとアヒルが交雑することはなく,人工的な交雑種のため,自然界に放すことは禁じられている。合鴨農法で半年水田の除草に活躍したあとはすべて肉にされることになる。

植物を利用した民芸品は東アジアの雰囲気である

東アジアには植物を利用した素晴らしい日用品の文化が根付いている。このようなバリの土産物を見ると,日本人は何か懐かしさを感じるが,欧米人は東洋らしさ感じるであろうと推測する。竹,籐,葦…,東アジアでは身近にある植物を利用してさまざまな日用品を作ってきた歴史がある。

かっての日本もその一員であったが,工業化とともにそのような伝統工芸はブラスチックの製品に置き換えられてしまった。このような製品を懐かしいと感じるのに留めるか,伝統技術を継承する重要性に気が付くかは文化の分岐点となる。

母から娘へと伝わるチャンナンの儀礼

小さな女の子がチャンナンを家の周りに置いている。この儀礼は母から娘に受け継がれており,バリが観光化して大きく変わっても,揺らぐことはないだろう。観光化によりバリの儀礼や芸能のある部分は変化している。しかし,インドネシアの他の島がどんどん西洋化していく中でも,バリの伝統文化は多少形を変えても大きく揺らぐことはないだろう。バリの人々も伝統文化が失われたときは楽園の終焉であることをしっかり認識しているようだ。

「Sunset Tour」に参加する

滞在5日目になってようやく南国らしい青空に恵まれた。午前中はアロマ美術館でバリ絵画をのんびり見ることにする。広い敷地内に建物が点在している。アルマ(ARMA)の名前の由来はAgung Rai Museum of Artの頭文字から取ったものであり,オーナーのAgun Rai 氏が収集したバリ絵画の名品が展示されている。

見ごたえのある絵画がこれでもかというくらい展示されており,さすがに見るだけで疲れる。敷地内には茶屋があり,入場料の中にはお茶代が含まれているので,庭園を眺めながらシナモンティーをいただく。

この日の午後はビナ・ウイサタの「Sunset Tour」に参加することにした。天候はここ何日かの中でもっとも良い。14時に出発しタナ・ロッ寺院の夕日を眺めてから戻るプランである。最初の訪問先は絵画工房であった。

ウブッは芸術の村として知られており,20年前は多くの村人は農業をする傍らに,生活の一部のように絵を描いていた。現在は絵が売り物になり,生活の手段として描く人が多くなっている。この子どもたちは下絵に合わせて色を塗っていた。職人としてはまず色塗りが基本であり,造形は次のステップのようだ。ウブッの周辺には大小のギャラリーがあり,そこには同じ絵がたくさんあることに気が付くだろう。

次の訪問先はメングィ近郊の棚田である。この辺りの棚田は開発のためそれほど残されていないし,しかも,ツアーなので道路から眺めるだけであり,棚田の素晴らしさはここからは伝わってこない。北のウブッから南のデンパサールにかけての東西のベルト地帯はバリの穀倉地帯であり,かっての王国もだいたいこの範囲に入っている。土地の傾斜は緩く,一枚当たりの水田面積は棚田とはいえないくらい広い。

タマンアユン寺院(Pura Taman Ayun)

メングィはウブッの南西にあるかってのメングィ王国の都であり,そこには王国の国寺であった「タマンアユン寺院」がある。この寺院はメングィの国寺であることからメングィ寺院とも呼ばれており,規模と格式はブサキ寺院につぐものとされている。また,タマン・アユン(美しい庭園)の名前の通り「バリでもっとも美しい寺院」とも云われている。

ウブッからの直線距離は10kmほどであるがベモを利用して行くのはまず無理だろう。タナ・ロッ寺院とともにツアーを利用せざるを得ない。ビナ・ウィスタでは毎日ツアーが出ている。料金は13万ルピア,14時に出発し帰りは19時少し前ということになる。

タマン・アユン寺院|風格のあるメル

タマン・アユン寺院は1634年に建立され,1937年に改修された。寺院の敷地は濠に囲まれており,橋を渡って敷地内に入る。内部は広い庭園になっており,はるか先に寺院の門がある。この門の内側はもう一つの濠で囲まれており,観光客は入ることはできない。しかし,濠の外側に遊歩道があり,観光客はそこから境内を眺めることができる。

この境内には10基のメル(堂塔)が整然と並んでいる。メルは複数の屋根をもつ構造となっており,その層数はメルの格式を表している。タマンアユン寺院の境内には最高神を祀る格式の高い11層のメルが4基もある。

タマン・アユン寺院|遊歩道からの眺め

このメルの並んでいる姿がなんとも風格があり,荘厳さを感じる。記憶は怪しいが確かメルを見るための望楼があり,そこらか門の内側に整然と並ぶメルを眺望することができる。ここの見学時間の多くはこの望楼と寺院の周囲の遊歩道を巡ってメルを見ることに費やした。

メルの特異な形状についてはアグン山を模したものであり,古代の山岳信仰を引き継いだものだという説が一般的だ。通常,メルの層数は奇数であるが,ここには理由は分からないが2層のメルも存在する。近くで観察することはできなかったが,ネットの情報の中にはメルはサトウキビの黒い茎で葺かれているという情報があった。僕がロンボク島のマタラムのメル寺院でチェックした限りではヤシの繊維が使用されていた。

アラス・クダトン

次の訪問地は野猿が棲息する森に囲まれたアラス・クダトン寺院である。ここもすっかり観光地化されており,門をくぐると両側に土産物屋が並んでいる。野猿といっても餌付けされているうえに,人が危害を加えることがないのですっかり慣れており,観光客が近くに寄っても子連れの母ザルですらたいした警戒心を見せない。

餌が豊富なせいか売店でサルの餌を買い求めた観光客がサルにひったくられるというような事態は見なかった。また,観光客の持ち物を取るようなサルもおらず,ずいぶん行儀のよい集団である。アラス・クダトンはサルとオオコウモリの寺院として有名であるが,オオコウモリの方は確認できなかった。

タナ・ロッ寺院|潮が満ちると水で隔てられる

タナ・ロッ(タナ・ロット)寺院はバリ本島ではなく,満潮時には水で隔てられる岩礁の上に建てられている。バリ6大寺院の一つであり,海の守護神を祀る寺院として多くの参拝客が訪れる。カタカナ表記にするとタナ・ロットとなるが,最後のトはほとんど音にならず,地元の発音はタナ・ロッに近い。

寺院の立っている岩礁は干潮時には陸続きになりので容易にアクセスすることができる。ただし,異教徒は岩の上に上ることも寺院内に入ることは許されない。それでも潮が満ちてくると海から立ち上がる岩礁の上にある寺院はそれだけで一幅の絵のようになる。ここに寺院が建設されたのは16世紀にジャワ島から渡ってきた高僧の進言によるものとされている。彼は景観のあまりの美しさに「これこそ神が降臨するのにふさわしい場所だ」と村人に告げている。

タナ・ロッ寺院|多くのバリ人もここを訪れる

タナ・ロッ寺院がもっとも美しいのはやはり夕日の時間帯である。バリ島側からは岩礁を西に見ることができるので夕日に浮かぶ幻想的なシルエットはバリの風景の中でも最も印象的なものの一つであろう。ここは外国人観光客も多いが,バリ人の参拝者あるいはインドネシア人の観光客が非常に多いところでもある。特に夕方は混むようだ。このような人々はビーチサンダル履きのことが多く,浅い水面を歩いて岩礁に近づこうとする。また,水に入らないまでも海岸からじっと寺院を眺めている。

タナ・ロッ寺院|夕日のシルエットが神秘的に美しい

それに対して外国人観光客の大半はバリ島の崖の上にあるオープン・カフェのテーブルについて,夕日の時間を待つことになる。僕も一通り海岸からの写真を撮ってから,石段を上がり崖に近いテーブルに席を取る。特に注文をしなくても何も言われなかった。確かに茜色の夕日の中に黒いシルエットとなった寺院は幻想的な光景であった。

夕日が沈むと観光客はいっせいに帰っていく。僕もツアーの時間が迫っているので駐車場に向かう。ただし,タナ・ロッの観光客はとても多く,広い駐車場で目的の車を探すことは容易ではない。車を離れる前に周辺の目印を確認しておかなければ,最悪,置き去りにされてしまう。

夜にもイベントがあるようだ

夜にも寺院参拝はあるようだ。ウブッから正装の人々がトラックに乗り込んでいく。男性の上着(シャツ)は白色なので寺院への参拝であろう。寺院における儀礼は昼夜を問わずにあるらしい。バイクの駐輪場のところに3人の女性がかたまっていた。これからトラックに乗ってお出かけするようだ。

若い女性の正装は色物が多く,華やかなものである。帯はなぜか地味なバティックのものになっており,やはりTPOに合わせているのかもしれない。地元の言葉ができるとこのような疑問はその場その場で確認することができるのに,英語ではどうにもならない。

石像の村|意外と仏像が多い

ウブッとデンパサールの間にバトゥプランという石像の工房の多い村がある。この村の北側に「バリ・バード・パーク」がある。ここには約250種もの珍しい鳥が集められているのでベモに乗ってお出かけする。とはいうもののバリ島内では外国人観光客が適正料金でベモを利用するのは困難である。それでも1.5万ルピアでバトゥプランに到着した。

さすがに石像の工房が多く,あきらかに供給が需要を上回っているように感じる。村人に何回かたずねてバード・パークに到着する。しかし,料金は爬虫類館と合わせて21.5$に10%の税金が付加され,合計で24$に近い。インドネシアの施設としては破格の料金である。ペナンのバタフライ・ファームでも6ドル弱である。う〜ん,としばし考えてから止めることにした。

石像の村|西洋的な彫像もある

バトゥプランはウブッに比べるとはるかに古いバリが残されている。デンパサールやウブッからの観光客がツアーで立ち寄るだけなので観光化は進んでいない。村のあちらこちらに工房があり,売り物の石像を眺めながら歩いてみる。ちょっと意外であったことは仏像の占める割合がとても多いことである。バリ島における仏教徒の割合は10%に満たないので,これらの石像は観光客用ということになりそうだ。

もう一つ目立ったのは左の写真にあるような西洋的な彫像である。まるで石膏のような質感である。この作品が彫像なのか塑像なのかは外観からは分からない。バリ島の芸術や芸能が伝統をベースにしながら絶え間なく進化していくように,石像のもつ造形技術も進化しているのかもしれない。

バトゥプラン|水田の風景

村の幹線道路を少し外れるとここではバリの原風景というべき水田の風景が広がっている。田植えが終わって少し経った時期の水田には細い竹の先にシャツを吊るしてあった。少し離れたところには白い布が同じように下がっており,どうやら日本の案山子のように鳥追いのしかけのようだ。バリ島ではこのような風景がどんどん減少しており,生産性の低い棚田などでは観光資源としての景観を保全するため州政府が補助金を出すような事態にもなっている。

バトゥプラン|この民芸品はコタキナバルにもあった

バトゥプランの土産物屋に置かれているこの民芸品はどこかで見たことがある。とはいうものの今回の旅行だけでも1.5万枚くらいの写真を撮っているので個別にチェックするのは不可能に近い。自分のサイトの写真をチェックしてようやく「コタキナバル(マレーシア)」のページに類似品があることが分かった。詳しくチェックするとバリでよく見られる竹の風鈴(ドア・チャイム)もあるではないか。オリジナルがどの地域のものかは分からないが,この種の民芸品は国際的な商品になっているようだ。

小学校|これから遠足に出かける

バトゥプランからベモを利用してウブッに戻る。地元の人にたずねて「ここに立っているとベモが通るよ」という地点に30分ほど待っていると運よくウブッに向かうベモが通りかかった。

ここでベモを待っているときメインザックを背負ったヨーロピアンの女性たちにウブッに行くベモについてたずねられた。「私も地元の人に聞いてここで待っているんです」と答えると彼女たちも同じ場所で待つことになった。僕はメインザックをもったままこのように観光地を移動する気にはならない。若さということもあるが,やはり,ヨーロピアンの女性はたくましい。

ウブッでは小学校を訪問することができた。これから遠足に出かけるところのようで,子どもたちはボーイ(ガール)スカウトのような服装をしている。先生の説明を一通り聞いてから教室を出ることになった。珍しい服装なので女子生徒の写真を撮らせてもらう。ちょっとはにかんだすまし顔がいいね。

Pura Dalem Gede

ウブッのモンキー・フォレストから少し東に行き,南に下り,もう一度東に向かう道が「Jalan Goa Gajah」である。名前のようにまっすぐ東に向かうと4kmほどでゴア・ガジャの遺跡がある。この通り沿いにプリアタンの「Pura Dalem Gede」があり,台の上に座っているけっこうリアルな男女の像がある。黄色の腰布と白い上着の組み合わせはバリでは何か意味のあることなのだろう。

バリ島の集落に相当するパンジャールにはプラ・デサ(集落の寺院),プラ・プセ(集落が生まれるもととなった寺院),プラ・ダラム(死と火葬の神々を祀り墓地の横に立つ寺院)という3つの基本的に重要な寺院がある。この寺院はプリアタンのプラ・ダラム(死者の寺院)の一つなので,ここに置かれている像はやはり死者に関連するものなのだろう。

学生の集団

どこかの寺院で学生の集団が記念写真を撮っていたので便乗した。全員が「Summer Camp Aneka」というおそろいのTシャツを着ている。集団の中で女子生徒の一人だけがスカーフを着用しているので,他の女子メンバーは少なくともムスリムではないようだ。

会場はウブッ王宮

あっという間に滞在の最終日の金曜日となり夜の芸能鑑賞はやはりサダ・ブダヤの「バロン・ダンス」にした。料金は8万ルピアで19:30開演である。

この時間になると十分に暗くなっており,王宮の門のところどころに置かれたローソクの火が艶めかしい。そして門の上には月が輝いており,なかなかの構図となっている。それにしても,門の上のローソクはどうやってセットするのか知りたいものだ。

レゴン・ダンス|

最初はレゴンダンスであり,3人の女性により演じられている。僕の目から見ると月曜日に見たものとほぼ同じような印象であるが,パンフレットによると物語は違うようだ。

バロン・ダンス

聖獣バロンがお目見えするが,とりあえず顔を出してすぐに退場する。なぜか孫悟空のよう猿に扮した踊り手が出てきて,バロンとコミカルな掛け合いのような動作を展開する。

トペン・ダンス

パンフレットには美しい仮面あるいは邪悪な仮面をつけた踊り手により,善と悪との戦いが表現されるとなっている。しかし,外観からはそのような差異は分からない。バリ島ではルアビナダ(すべてのものには二つの側面があり世界は二つの要素で成り立っている)と考えが世界観の基本となっている。

それによると,善と悪も同じように世界を構成する要素であり,片方がもう片方を圧倒することはなく,両者の戦いは拮抗しながら永遠に続くことになる。善を象徴する聖獣バロンと悪を象徴する魔女ランダとの戦いもその一形態であり,プログラムはその決着のつかない物語を表現していく。


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