亜細亜の街角
赤道直下で震えながらご来光を見る
Home 亜細亜の街角 | Gunung Bromo / Indonesia / Jun 2009

ブロモ山  (地域地図を開く)

ブロモ山はジャワ島東部の中心地であるスラバヤから南に90kmのところに位置する標高2382mの複式火山であり,現在でも噴火を繰り返している。複式火山とは火山の正式な分類ではなく,一つの火山の火口内にさらに小火山体ができたものであり,二重式火山や三重式火山とも呼ばれる。

ブロモ山の場合は過去の大噴火により火口付近が陥没してカルデラ地形となり,現在はその中央部に活動中の火山をブロモ山とよんでいる。外輪山の直径は7.5km,その火口原にバトゥッ山,ブロモ山がそびえている。

ジャワ島最高峰のスムル山はブロモ山からおそそ20kmほど南にあり,外輪山の北側にあるビューポイントから火口原の二つの山とその向こうにスムル山を眺望することができる。この壮大な景色は「神々の庭」と称され,インドネシアでももっとも素晴らしく,感動的な風景の一つとされている。

ブロモ山の中腹から高地に住む人々はテンガル(テングル)人と呼ばれており,16世紀にヒンドゥー教のマジャパヒト王朝がイスラム教のマタラム王朝により滅亡したとき,一部の人々は険しい山岳地帯に逃げ込み,ヒンドゥー教を頑なに信仰しながら現在に至っている。

テンガルの人々が山岳地帯に居住し,かつヒンドゥー教を信仰するのは,世界宗教がジャワ島に到来する以前に信じられていた山岳信仰の名残なのかもしれない。ヒンドゥー教が主要宗教となっているバリ島における最高位の寺院はブサキ寺院であり,その信仰対象はアグン山となっている。

周辺はすべてイスラム化しても彼らの信仰は変わらず,ムスリムのジャワ人からもある種の畏敬の念を抱いているようだ。この山の民は火山の恩恵を受けながら,一方では火山の怒りを怖れながら生きてきた。彼らは年に一度,満月の日に「カソド(Kasodo)」というブロモ山の怒りを鎮める荘厳な儀式を行なっている。

それにもかかわらず,40年ほど小康状態を保ってきたブロモ山は2004年に噴火し,複数人の観光客が亡くなっている。2011年1月にも再び噴火し,インドネシア行きの国際線が一時停止することになった。

日本の1/3の面積に1億人の人がひしめくジャワ島は火山の島でもあり,西からスラメット山 (3432m),ムラピ山 (2968m),スムル山 (3676m),,ラウ山 (3332m)などの火山が数珠状に連なっている。

人口稠密なジャワ島では火山のごく近くにまで人々の生活の場が迫っているため,噴火による人的な被害は大きくなっている。過去300年間の主要な火山災害による死者約26万人のうち,60%がインドネシア人で占められている。この死者には噴火とそれに起因する津波,泥流などによる直接的な犠牲者とその後の疫病・飢饉による死者も含まれている。

ソロ(07:00)→スラバヤ(13:00)移動

06:30にチェックアウトする。早朝のためベチャがさっぱり見当たらない。ようやく交差点のところでつかまえる。「バススタンドまでいくら」とたずねると,初老の運転手は1万ルピアという控えめな数字を出してくる。地元価格からすると少し高いが,初期値を1.5万とか2万とは言わないところが気に入り,交渉は成立する。ソロのバススタンドは入り口で200ルピアを支払わなければならずわずらわしい。

スラバヤ行きのバスはすぐに見つかり,料金は3万ルピアと格安である。乗客の乗降はまったく自由でどこにでも停車するため行程に比してずいぶん時間がかかる。バスが止まると乗り込んでくるのは乗客だけではない。多種多様な物売りが商品を手に車内を回る。小型のギター,ウクレレ,ハンドドラムを伴奏に歌をうたい,小銭を集める芸人もいる。

スラバヤ(13:30)→プロボリンゴ(16:00)移動

スラバヤのバスターミナルではブロモ山まで行くというタクシー運転手が何人もやってくる。こちらはまったくその気がないにもかかわらず,いくらなら乗るとしつこい。まあ,彼らにとってはうまくいくと大きな稼ぎになるので,熱心に誘う気持ちも分からないではないが・・・。

速攻で昼食をとりプロボリンゴ行きのバスに乗り込む。このバスは料金が2万,4万などと表示されているので分かりやすい。僕はもちろん2万ルピアの方を選択した。

プロボリンゴの到着は16時,その少し前に乗り込んできた男性が「パブリック・ベモ」の乗り場はここだよと声をかけてきた。ベモは乗り合いの小型車でブロモ山に行くにはそれ以外には移動手段はない。しかし,彼の言う「パブリック・ベモ」は偽物でタクシーとして高い料金が要求されることになるはずだ。僕が「バスターミナルに行くよ」と答える。

バスは立派なゲートをくぐりバスターミナルに到着した。しかし,この時間からブロモ山に行くベモはどこにも見つからない。バスターミナルの外にはベモがたくさんおり,それらは主としてインドネシア人観光客用のものである。

インドネシア人の観光客は山頂の近くで1泊するのではなく,ご来光を見るため深夜にここを出て一気に山頂のビューポイントを目指すため,夕方からブロモ山に向かうベモはいないようだ。

プロボリンゴ(18:40)→チェモロ・ラワン(20:00) 移動

ゲートの横にあるツーリスト・インフィメーションは料金は高いし,大事な情報を意識的に伏せるので信用しない方がよい。バスターミナルの中にある旅行会社「TOTO」はそれなりにまともなサービスであった。ここでジョグジャカルタからのシャトルバスに乗せてもらうことにした。この区間の料金は3.5万ルピアである。また,翌朝04時発のブロモ山見学の乗り合いジープが10万ルピアと納得できる価格なのでお願いすることにした。

バスターミナル内にある食堂でごはん,フライドチキン,目玉焼きの夕食(8000ルピア)をいただき,道路を挟んでバスターミナルの向かいにある事務所でシャトルバスを待つ。シャトルは18:40に到着した。ジョグジャカルタからの片道ツアーのものであり,料金は少なくとも30万ルピアはしそうだ。

Cwmara Indah

ここからブロモ山までは2000mくらいの標高差があり,シャトルバス(コーチ)は1時間ほどで山頂近くのガディサリ村を通り,外輪山にある「Cwmara Indah」に到着した。コーチから降りるときに運転手が僕がここに宿泊することを確認している。明朝はそれを頼りにビューポイント行きのジープが迎えに来てくれる。

Cwmara Indah は山小屋という雰囲気であり部屋は4.5畳,2ベッド,トイレ・シャワーは共同で清潔である。とはいえ,料金の9万ルピアには見合うものではない。唯一の利点は宿から火口原を眺めることができることである。山頂下のガディサリ村の宿泊設備は分からないが,そちらに宿泊した方がよかったかもしれない。

重装備のインドネシア人観光客

03:30に起こされる。昨夜は毛布を2枚重ねて寝ても,夜半には寒さのために眼が覚め,クツシタをはくことになった。熱帯とはいえ標高2300mの山の上では夜の気温は数℃まで下がる。ツアーのジープがやってきて6人が乗り込み,出発する。車はランドクルーザーである。

Cwmara Indah は火口原を取り巻く巨大な外輪山の切れ目のような場所にあり,ジープは動き出すとすぐに火口原に入ったようだ。ライトに照らされたわだちの跡が見える。火口原を横切ってビューポイントのある外輪山を元気に上り出す。

ビューポイントの300mほど手前からジープやワゴン車が一列に並んでいる。道はほとんど駐車場と化している。よくもまあ,ブロモ山の日の出ツアーに参加する人々が多いものだと感心する。

寒さに慣れていないインドネシア人の服装はかなりの重装備である。それでも方が足元は素足のサンダルの人もおり,こと足元の耐寒性は彼らの上だ。南には火口原の中に手前にバトゥ,左側にブロモ,そして火口原の向こうにスムルが並んでいるはずだ。しかし,この時間ではまだ黒いシルエットがかすかに見えるだけだ。

ブロモ山から見る燭光(04:54)

露店の明かりを頼りに石段を登って行くとビューポイントに出る。そこは外輪山のプアンジャカン山頂であり,およそ30m四方の空間を人々が埋めている。山頂は宿よりも150mほど高く,風もあるので寒い。半袖1枚,長袖2枚の上に冬用のフリースを着込んでいるので,体は耐えられるが,写真を撮るために外に出している指先はしだいにかじかんでくる。

東の空がオレンジ色に染まる(05:02)

05時になると東の地平線がオレンジ色に染まり,低い山並みがシルエットになっている。この瞬間の写真を撮るためには東側の最前列に出なくてはならない。しかし,柵の前にいるヨーロピアンはまったく動いてくれないので後ろの人たちは写真に苦労する。スペースを共有するというマナーは彼らには通用しないようだ。

その点,アジア系の人たちは自分の写真が終わると後ろの人に場所をゆずるというマナーは失われていない。僕も次の人に場所を譲り,次の光景の機会を待つ。

ヨーロピアンは本当に朝日や夕日を眺めるのが好きなようだ。エジプトのシナイ山(モーゼが十戒を預かったところとされている)に上ったときも,東の地平線だけに注目し,背後の岩山が神々しく赤く染まる風景には注意を払っていなかった。

火口原が見えてくる(05:16)

少し明るくなると火口原の様子が分かるようになる。外輪山に囲まれた閉鎖環境と気象条件によるものなのか火口原は雲海に満たされていた。ブロモの噴煙は雲海の上にたなびき,スムルの下半分を隠している。

少しずつ風景の輪郭がはっきりしてくるので,その度同じ角度からの写真を撮ることになる。この風景は気温が上がり,雲海が消えたときのものも写真に残したい。ついでにブロモの噴煙が真上に上がってくれるとベストであろう。

東の山々がシルエットになる(05:20)

東の空のオレンジ色が少しずつ薄くなり山並みがきれいなシルエットになる。

東の山々が雲海に浮かぶ(05:34)

気象条件からなのであろう,東の山並みがシルエットから脱け出すと雲海の上に浮いていることが分かる。雲海はいくつかの気象条件と地形条件が重なったときに発生する。
(1)周辺を山に囲まれた盆地状の地形
(2)湿度が高いこと
(3)夜間の晴天による放射冷却
(4)風が弱いこと

夜間に晴天となると放射冷却により地表面が冷え,それにより地表面付近の空気も冷やされる。風が弱いと盆地状の地形では冷やされた空気はその場に留まり,さらに冷却が進む。盆地状地形の空気が飽和水蒸気圧以下に冷却されると水分が凝縮して霧となる。これを上から見ると雲海になる。

火口原の中が雲海で満たされる(05:35)

外輪山に囲まれた火口原も同じようなメカニズムで雲海に満たされている。もう少し雲海が厚みをもつとこの雲海が外輪山から流れ下る光景が見られるかもしれない。

これがブロモ山の絶景(05:42)

さらに明るくなると雲海に浮かんでいるようなブロモ山とバトゥッ山を従えるようにスムル山が成層火山らしい優美な姿を見せるようになる。これがビューポイントから見る大パノラマである。まさに絶景であり,インドネシアで最も感動的な風景の一つと喧伝されるわけが分かる。さらに,山頂の寒さがこの景色を印象深いものにしてくれる。

雲海と噴煙が景色を隠している(05:47)

ブロモ山の噴煙は西方向に流れ,弱いながらも風があることが分かる。06時を回るとあれほどの人数のツアー客は潮が引くように消えていった。ツアーの時間は決まっているせいであろう。僕もビューポイントを後にして,自分のジープを探す。ナンバープレートのアルファベット部分がN****NT なので分かりやすい。

火口原のヒンドゥー寺院(06:28)

ジープは明るくなった火口原に下り,ブロモ山の近くにあるヒンドゥー寺院の北側に集結する。これ以上ブロモ山に近づかないのが地元のルールとなっているようだ。ここから馬もしくは徒歩でブロモ山のふもとまで行き,さらに石段を上って火口壁に立つことができる。ジープが終結したあたりは1cmに満たない小さな黒色の火山噴出物で覆われた黒い平原となっており,その向こうにヒンドゥー寺院がある。

日本的な感覚でいうならば「ブロモ神社」といったところであろう。ブロモ山の山腹に暮らす人々の多くは16世紀に滅亡したマジャパヒト王朝の流れをくむヒンドゥー教徒であり,大昔の記憶にある山岳信仰とあいまってブロモ山自体をご神体としているのかもしれない。おそらく,ジープが並んでいる地点から先は彼らの神域になっているのだろう。

たくさんのジープが集結しているので自分のジープの駐車場所を確認してからブロモ山を目指して歩き出す。ブロモ山の麓まではゆるい上りとなっており,黒っぽい火山噴出物に覆われている。少し高いところから火口原を振り返ると神域を隔てる柵の向こうにジープの列が並んでいる。早朝には火口原を覆っていた雲海は日が射すと薄くなり,この時間には地面近くをもやのように漂っている。

噴煙を上げるブロモ山

ブロモ山は現在残されている部分の傾斜からすると,全体の1/3が残っているのに過ぎない。現在も中心部から噴煙を上げている巨大な火口が好奇心を刺激する。緩い坂とはいえ歩き出すとすぐに体温が上がり,冬服は腰に巻き,長袖の1枚はザックに入れて先を進む。

火口原は歩きづらいのでこんなサービスもある

ずいぶん昔に富士山の麓から5合目まで登ったことがある。その時もこのような黒っぽい火山噴出物の斜面を登るのに苦労したことがある。1歩進むと半歩崩れるというありさまで非常に歩きづらい。ブロモ山の噴出物斜面は傾斜がずいぶん緩いのではるかにましとはいえ,わだちの跡を歩いて先に進む。

ブロモ山は信仰の対象なのであろう,ヒンドゥー寺院は山を見上げるところに位置している。少し高くなったブロモ山側から見ると,寺院の脇を通り人と人を乗せた馬が歩きづらそうにこちらにやってくる。

ブロモ山側からヒンドゥー寺院を見る

もう少し高いところからヒンドゥー寺院を見ると薄いもやからシルエットが浮かび上がる幻想的な光景になっている。おそらくこの寺院を建てた山腹の人々は,寺院のところまでが立ち入り可能であり,そこから先は神域であったことだろう。彼らにとってはブロモ山の火口を覗き込むなどという行為はご神体を汚すことではなかったかと推測する。

ブロモ山の斜面を登る

さらに進むと傾斜はきつくなる。ここは両側が崖のようになっており,土石流が流れ下った跡のようだ。火山性堆積物はもろいため風雨により簡単に浸食される。富士山も(火山の形としては)現在は幼年期にあたり,秀麗な容姿となっているが,風雨の浸食を絶え間なく受けるため,地質学的なタイム・スケールでみると,現在の姿はそう長い時間は維持できない。

この辺りは踏み固められた道となっており,歩きやすい。ヒンドゥー寺院はかなり下になり,その背後には巨大は外輪山が屏風のように立っている。この火口原全体が陥没するほどの巨大噴火はちょっと想像しづらい。

火口壁に続く石段

最後の急斜面は二列の石段となっており,いちおう片側通行となっているようだ。火口壁まで登るとそこは写真ポイントなのか混雑している。滑落防止のため火口側には柵が設けられている。混雑を避けてお釜の縁を左に100mほど移動すると柵はなくなり,人もまばらになる。

浸食の跡が襞になっているバトゥッ山

息を整えながら来し方を眺めてみる。急斜面部分には水の流れた跡が無数にあり,正面左側に見えるバトゥ山には大きな浸食の跡が小さな谷を刻んでいる。バトゥッ山はおそらく現在のブロモ山に先だって噴火したときの名残であろう。山ができてからそれなりの時間が経過しているため,山体には多くの浸食の跡が深い襞になっている。

火口壁から火口原を眺望する

火口原の雲海は徐々に薄くなってきており,もう1時間もすれば黒い沙漠のような景色が見えるようになるだろう。ブロモ山の火口原はとても広いので歩いて移動するプランはお勧めできない。特にビューポイントから日の出を見ようとするなら,深夜に宿を出なければならないので,危険をともなう。

ブロモ山火口

火口は中心部に向かってすり鉢状に落ち込んでおり,その中心部からはさかんに噴気が上がっている。すり鉢の角度は45度を越えており,足を滑らすと底まで転げ落ちることになる。

火口原からブロモ山姿を目に焼き付ける

火口壁でジャカルタで働いている日本人男性と出会った。たまたま彼も同じ宿だったのでプロリンゴまでご一緒することにした。下山のベモは呼び出し料込みで5万ルピアと言われ別の車を探すことにする。宿の前にやってきたベモは2.5万ルピアということなので乗り込む。


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