亜細亜の街角
茶畑とモンの子どもたち
Home 亜細亜の街角 | Lai Chau / Vietnam / Mar 2006

ライチャウ  (地域地図を開く)

ベトナム北部にはディエン・ビエン・フー(DBP)からラオカイに抜ける道路がある。主要な町を上げてみると,DBP→ライチャウ→パソ→タムドン→サパ→ラオカイとなる。

しかし,新ライチャウができたため,この順番はDBP→(ライチャウ)→パソ→新ライチャウ→タムドン→サパに変わっていた。このため旧ライチャウに行くつもりが新ライチャウに来てしまったという何人かの旅行者に出会った。

新ライチャウは標高900m,茶畑を切り開いて建設中の町である。幹線道路が南西から北東に走り,その両側が街になっている。

街の南側では大規模な拡張工事が行われ,幹線道路をひっきりなしに土砂を積んだダンプが走るため非常に埃っぽい町である。街の周辺には茶畑が広がり,少数民族もたくさん居住している。

ディエン・ビエン・フー(215km)→新ライチャウ 移動

ディエン・ビエン・フー(07:00)→900mの峠(09:15)→つり橋(09:45)→1060mの峠(12:00)→ライチャウ(12:30)とバスで移動する。宿から歩いて市場の北側にあるBSに向かう。

ライチャウ行きのチケットを買うと62,000ドンである。ガイドブックにはライチャウまで100kmと記載されているので通常の2倍の値段である。文句を言おうにもチケットにしっかりその金額が記載されているので払うしかない。

バスは韓国製のミニバスである。車内でベトナム人にチケットを見せてもらうと同じ料金なので,とりあえず納得する。運転手も車掌も20代全前半の若さである。

道路は舗装1車線,ダート1車線である。中央の舗装部分が狭いので,車同士がすれ違うときは,お互いに片側をダートに落として走る。

9時過ぎに900mの峠を越える。この辺りがターイ族とモン族の居住地の境界のようだ。峠の周辺では華やかなプリーツ・スカート,あるいは黒地に刺繍の民族服の女性たちが見られる。きれいな民族服の小さ子どもが水牛に乗っている。

しかし,バスは速度を緩めることなく走り抜けてしまう。09:45に感じの良いつり橋を渡った。この辺りの標高は200-300m程度であるがモンの人々が住み着いている。

再び山道になり,横Gが大きいため荷物を押さえておく必要がある。標高が上がると風景は良くなる。ガスも消え,谷側には雄大な景色が目を楽しませてくれる。

山のあちこちから煙が上がっている。焼畑ではなく小規模の山焼きのようだ。場所によっては山の斜面が広く伐採され焼畑も行われている。1060mの峠を越えると一面の茶畑になり,じきにライチャウのバススタンドに到着した。

Phuong Thanh Hotel から見る造成工事の進む町

バススタンドは幹線道路沿い,街の北東の外れにある。街に向かって最初のホテルは13万ドンでディスカウントはないのでパスする。Phuong Thanh Hotel は8$のところを10万ドンにしてくれたのでここに決定する。道路沿いの4階建ての建物と広い庭,その北側に平屋の客室がある。

僕の部屋は4階建ての建物で部屋は8,2ベッド,T/HS付き,TVと机もあり清潔である。建物の階段には手すりが無く,足を踏み外すと1階まで転落する。従業員の対応はとてもよく,毎日ポットに入ったお湯はもらえた。またホットシャワーも少し暖かい水ではなく,ちゃんとしたお湯でとても気持ちがよい。

宿の屋上から見ると,宿の南側では大規模な造成工事が行われている。西側はすでに拡張の余地は無いので,現在は東南部の土地が開発されている。周辺を山に囲まれた盆地になっている新ライチャウの平地はじきにすべて市街地になろうとしている。

メインストリートだけは舗装されている

宿のスタッフにいくつかの地名が幹線道路のどちらの方角にあるかを聞き出し,どうやらこの町はパソとタムドンの間にあることが分かった。旧ライチャウから100km以上も離れている。それではバス代が2倍になるのもうなづける。

とりあえず幹線道路を歩いてみる。なんとも埃っぽい町だ。工事用の大型車両が通るので道路は泥だらけになり,車が通るたびにひどい埃が舞い上がる。道路の両側には新しい建物が多く,工事中のものも相当ある。

幹線道路の周辺には商店街になっており,小さな市場もある。栄養補給のトマトは2個(600g)で3000ドンである。しかし,それ以外は果物にも乏しく調理無しで食べられる食材はない。

市場の先はかなりの勾配になっており,屋台用の荷車を引いたおばさんが難儀をしているので後ろから押してあげる。ジーンズが擦り切れてきたので,商店を一通り当たってみたが,全然役に立たない。

グラウンドとその周辺に大勢の学生が集まっている

南に通じる小道を行くと大きなグランドがあり,スタンドにはたくさんの高校生が坐っている。ベトナムでも「美白」が関心事なのか女子学生はみんな帽子を被っている。

グランドの南側は茶畑になっており,その向こうに三角形の禿山が続いている。グランドの様子をしばらく眺めていたが何も始まらないので戻ることにする。グランドの外にも女子学生が集まっており,中にはノン(ベトナム菅笠)を被っている人がいるので一枚撮らせてもらう。

幼稚園の建物の外に子どもたちがいたので集合写真を撮る

近くには立派な建物の幼稚園もあった。子どもたちが外にいたので並んでもらい集合写真を撮る。しかし,すぐに先生が現れ子どもたちは建物の中に入れられる。子どもたちは建物のベランダから手を振って見送ってくれる。

子どもたちに見送られる

町の周辺の緩斜面はすべて茶畑になっている

水牛は茶畑の下草を食べに来ている

茶畑の背後には樹木のない茶色の山が連なっている

茶葉は手作業で摘んでいる

上にあるゆるやかな起伏の斜面は一面の茶畑になっている。ところどころで肩からたすきがけにカゴを着けた女性たちが葉を摘んでいる。紫外線対策か,頭部はノンとタオルで厳重に覆われている。

背後の急斜面に焼畑の煙が上がっている

背後のはげ山は土地の過剰利用の証である

茶畑の北の外れには三角形の禿山が連なっており,境界あたりに畑と墓地が見える。近づいてみるとまばらに木の生えたゆるやかな丘が段々畑になっている。現在は乾季のため畑には作物の緑はない。

その背後の三角の山は荒地になっている。茶畑から見ることのできた煙から判断すると,この傾斜のきつい山でも焼畑が行われているようだ。これだけ急斜面においては棚田のような水平農業は難しいので斜面をそのまま利用する形態となり,雨期などには表土が容易に流出し荒れ地のようになる。

熱帯地域の伝統的な焼畑は持続的な農業形態であるが,人口が増えてくるとそのままでは土地の過剰使用につながる。少なくとも現在のはげ山の上部半分は植林により表土の保全が図られなければならない。

薪を運ぶ,燃料はすべて薪なのであろう

幹線道路の北側に通じる道を上っていく。燃料にする木材をカゴに入れて運んでいる民族服のモンの女性たちがやってくる。

町の外に暮らしているのはほとんどモンの人たちである

周辺にはモン族の人々の家がある。子どもたちの服装は半ば洋風化しているが,家の横の物干しには民族服がかかっている。子どもたちの写真を撮り,小さな子どもにはフーセンを,大きな子どもにはヨーヨーを作ってあげる。

小さな子どもを背負った民族服の女の子が妹と一緒にやってくる。手製のパチンコを首から下げた男の子もやってくる。学校帰りの民族服の子どもたちにも出会った。みんな喜んで写真に入ってくれた。

茶畑の西側は幹線道路沿いの町が細長く続いており,その向こうには折り重なるように緑の少ない山が連続している。宿に戻りシャワーを浴びて一休みする。

小さな子どもを背負った民族服の女の子

近所の子どもたちが集まり集合写真になる

やはりここも大石灰岩地帯の一部なのだろう

感じのよい家を発見する

作業用の籠を背負ってポーズを作ってくれた

若いお母さん,子どもも機嫌がよさそうだ

夕暮れの風景|西側は山並みが迫っている

夕方,もう一度,北の茶畑に登り,夕陽の風景を楽しむ。空を赤く染めた太陽はゆっくりと山の端に消えていく。それでも太陽は最後の力で西の空を茜色に染め続けている。

夕暮れの風景|南側では土地の造成が急ピッチで進んでいる

茶畑もどんどん削られ都市インフラが整備される

町には意外と食事のできるところは少ない。宿の西側にある食堂は年配のおばさんが従業員を使って切り盛りしており,いつも繁盛している。このような店はだいたい安くておいしいところが多い。この店の牛肉入りフォーは6,000ドンで味は悪くない。

幹線道路を東に歩く。BSのあたりから両側の丘が道路の拡張工事で削られた跡が生々しい。BSおよび周辺の広場も丘の斜面を削って造成されたものだ。

BSの建物の裏手は10mほどの崖になっている。南側の丘は2つに切り裂かれ,その間を南に向かう道路が造られている。その向こうでは重機が丘を削り,広大な土地を造成している。

この辺りの赤土は水分が多いと流れ出し,適度の水分では固くしまる。水分を失うとカチカチになり,それを砕くと細かい粒子になる。このためダンプのタイヤに付着した赤土はすぐに砂埃の材料になる。

ひどい埃のため幹線道路を歩くこと中止し,南側の茶畑に避難する。ここは直交する道路と造成地に挟まれた島のようになっている。

この島には茶畑以外は何も無いので,幹線道路を渡り北の茶畑に登ってみる。こちらの茶畑は手入れが悪いのか,ところどころで空き地ができている。

もっともその空き地に生える草は牛のごちそうになるので,下草はきれいに刈り取られたようになっている。道路を挟んだ向かいの丘は盛大に削られ,醜悪な姿をさらし,周辺には工場のような建物ができつつある。

バス乗り場では定価でチケットが購入できる

ナスの原生種には茎や葉にトゲがある

茶の木を育苗する

タイヤが遊び道具となっている

茶畑の北側には街に通じる道路があり,家屋が点在している。民家の庭先で4人の子どもが遊んでいる。姉の上着の模様からモンの家であることがわかる。小さな子どもたちは大きなタイヤの輪の中で遊んでいる。

写真を撮り,お礼にフーセンを作ってあげる。8才くらいの長女は弟妹の面倒をよく見ており,フーセン遊びで笑い声が絶えない。何事が起きているのかと家からおばあさんが顔を出し,すぐに引っ込む。

僕が次の家に行こうとすると,彼らも後をついてくる。次の家は戸が閉まっており家人は外にいるようだ。じきにこの家の子どもと思われる2人の女の子が戻ってきた。

前の家の子どもたちとは友達でそろって集合写真になる。前の家の長女がこの家の子にもフーセンをあげるように手振りで訴える。当然,不公平がないように彼女たちにもフーセンを作ってあげる。

小学校に付属する幼稚園で写真を撮る

工事中の道路が北に向かっている。左に小学校があり訪問する。ここには幼稚園があり,教室の中で集合写真を撮る。写真など撮られたことがないかもしれないこの子たちは,じっとレンズを凝視している。一通り撮ってから画像を見せてあげるとようやく笑顔が見られるようになった。

次は校庭に並んでもらい集合写真を撮る。職員室で学校の名前と住所を聞こうとしたら英語がほとんど通じない。仕方がないので学校の看板の写真を撮っておく。HP作成が一段落したら写真を送ることにしよう。

10:30に午前中の授業が終わると子どもたちはそれぞれ自分たちの家に帰る。山の子どもたちはたくましく,幼稚園の子どもたちも歩いて帰る。

校庭でも集合写真を撮る

風船をふくらませるのは楽しい

ちょっと変わった石臼でトウモロコシを粉にする

小さな孫を背負ったおばあさんがトウモロコシを粉にしている。長い取っ手のついた石臼にトウモロコシを入れ石臼を回転させると砕かれたトウモロコシが石臼の隙間から出てくる。簡単な作業であるが取っ手を上手に操って回転させるのは意外と重労働だ。

僕もちょっとやらせてもらった。僕が石臼を回すとおばあさんは2回に1回トウモロコシを石臼上部の穴に入れる。200回ほどその作業を繰り返すと一息入れたくなる。役割を交代して僕がトウモロコシを入れる。バケツ一杯分のトウモロコシを挽くのに1時間ほどかかかる。

黒豚の親子の行進

黒豚の親子が道路を横断している。子沢山で親の後ろには10匹ほどの子豚が続く。道路わきの斜面に着くと親豚は横になる。子豚たちは一斉にその乳房にしゃぶりつく。

服が汚れてしまうよ

小学校からの帰りの子どもたちが集まってきた

小学校からの帰りの子どもたちが集まってきた

モンのお嬢さん

午後にもう一度このあたりを訪れてみる。道のところで子どもたちが遊んでいる。もうカメラにすっかり慣れ,道路わきに並び写真を撮れと催促する。この中に民族服の姉妹がいたので一緒に家まで行くことにする。

しばらく北に向かい右の斜面を上ると彼女たちの家がある。地面の上にそのまま建てられた家で,壁は竹を開いき,縦横で編んだマット,屋根は瓦で葺いている。

家に着くと母親が現れ,先ほどの画像を見せてあげると,家の中から新しい民族服を出してきて彼女たちに着せる。ビーズの付いたエプロンを着けると,かわいらしいモンのお嬢さんが出来上がる。

当然,写真を撮り親子に見せてあげる。言葉は通じないが,娘たちの晴れ着姿のプリントを欲しいに決まっている。彼女たちの写真も,幼稚園の写真と一緒に送ることにしよう。ちゃんと届くといいな。

夕暮れの風景

早朝のバス乗り場にて

孫を背負ったお婆さんが通りかかる

近くの家の子どもたち


ディエン・ビエン・フー   亜細亜の街角   パソ