亜細亜の街角
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Home 亜細亜の街角 | Tuangiao / Vietnam / Mar 2006

トゥンジャオ(トゥアンジャオ)  (地域地図を開く)

トゥンジャオはソンラとディエン・ビエン・フーの間に位置する標高560mの小さな町だ。旅行人にも地名が紹介されているだけで,旅行者が立ち寄るようなところではない。

マイチャウの宿で一緒だったスイス人がロンリー・プラネットの情報でとても良さそうなところだと言うので付きあってみたら大当たりのところであった。

googlemap ではベトナム北西部は地図上の空白地帯のようになっており,トゥンジャオの場所を探すのは容易ではない。googlemap には道路とその番号は記載されているので,OL6号線とOL279号線が交差するところを探すのがよい。

googlemap の地形図で確認してみると,道路沿いにわずかの平地があり,周辺はひたすら山並みが続いている。このような谷筋に広がる村落は日本でもよく見られる。

水には恵まれているのか平地は一面の水田となっている。僕が訪問した2月は田植えが終わった時期であり,(晴れると)緑のじゅうたんが美しく輝いている。

町はT字に交差する幹線道路沿いに広がっている。OL6号線はソンラ方面から北上し,トゥンジャオの町を通りライチャウ方面に向かう。

ディエン・ビエン・フーに向かうOL279号線はトゥンジャオの町でOL6号線と西に向かう┫字で交差するのであるが,実際の道路は南に向かう┳字の交差点となっているので文中の交差点は┳字の意味である。

住民のほとんどはターイ族で,女性は黒か紺色の長いスカート,ズボンを着用している。町の周辺はのどかな水田地帯になっており,田舎の風景が満喫できる。

マイチャウ(220km)→トゥンジャオ 移動

マイチャウ(07:30)→バス停(08:00)→ソンラ(13:00)(13:30)→トゥンジャオ(16:00)とバスで移動する。4時を少し回るとオンドリの声がする。一羽が鳴き出すと連鎖反応が起きる。

じきに静寂が戻り,池に落ちる水音以外は物音がしない。掛け布団の重さを除くと快適な眠りであった。早朝の雨は6時前にあがり,雨中の移動は避けられそうだ。

マイチャウは幹線道路の6号線から外れている。僕とスイス人の旅行者は地元のバイタクに分乗してバス停まで行ってもらうことにする。バイクは6号線に出てしばらく走り,あたりに民家もない空き地で止まった。

じきにソンラ行きのミニバスがやってくる。車掌の言い値は2人で20万ドン,地元料金の2倍である。僕が首を振り乗らないそぶりをする。すかさずスイス人が2人で10万ドンで交渉する。この作戦は当たり,我々の言い値(普通の地元料金)で乗ることができた。

ソンラまでの道はとても良く最高地点は1200mほどである。バスが突然止まる。このバスは乗客が少ないので運行停止となり,次のバスに乗り換えとなる。インドや中国でもこのような事態はときどき発生する。路上でバスを待っていると民族服の母娘や水牛に乗った少年が通る。

沿線には少数民族の家が点在している。高床式のものと普通の家屋が混在している。斜面はほとんど畑で水田は少ない。石灰岩地帯なので岩が多く,そのような場所は果樹園になっている。

ソンラの路上で30分ほど待ってディエン・ビエン・フー行きのバスをつかまえる。スイス人が2人分として5万ドンを渡すとそれでOKとなった。トゥンジャオまでは80km,500m以下の低地では田植えの最中である。それより高いところでは田植えの準備が進められている。どちらも大勢の人々が作業をしており絵になる風景である。

山道に入ると道路が岩石でふさがれている。かなり大規模ながけ崩れが発生したようだ。重機が周囲の斜面を盛大に削っている。バスは工事用の道をゆっくり進む。

ここから先の10kmほどの区間は大規模な道路工事が行われており,離れたところからは緑の山肌に茶色の帯となって見える。

標高が1000-1400mになると斜面農業だけになる。焼畑はなく,定住しているようだ。1400mの峠から一気に標高560mのトゥンジャオに下る。桜のような薄いピンクの花が緑の斜面にアクセントを添えている。平地に出ると見事な水田が広がっている。

Tuan Giao Hotel

トゥンジャオにはホテルが少なく選択の余地はあまりない。T字路の右を行くとTuan Gia Hotel に出る。受付の女性はある程度英語が話せる。料金は10$と言われたが,交渉の結果10万ドンにしてもらった。

部屋は10畳,2ベッド,T/HS付き,とても清潔である。ただし,このホテルはドル払いができないので,両替を急がなければならない。同行のスイス人とはこの町で別れることになるが,サパの町のホテルで再会することになる。

おそらく荷物の運び屋だと思われる

旬の食材はタケノコ

朝の市場風景

6時に起床,夜半からの雨はまだ完全には上がっていない。下に降りるとホテルのゲートはまだ閉まっている。寝ていた管理人を起こして開けてもらう。天気が悪いので外はまだ暗く写真には不適である。T字路の右の道路には女性たちが固まっているもののまだ商いは始まっていない。

小さな店が集まっているだけの常設市場の裏が露店用の場所になっている。畑を持っている人は野菜を,山に住む人はタケノコを商っている。

カメラを向けてもそれほど気にしないようだ。フラッシュは使いたくないのでマニュアル・モードで何枚かとる。2人の少女がミントのような葉を売っており,よいモデルになってくれた。近くの食堂で水をもらいヨーヨーを作ってあげる。

T字路を南に歩く

路上のパン屋でフランスパン・サンドをいただいていると再び雨が降り出す。宿に戻り雨宿りとなる。9時頃から久しぶりに太陽が顔を出し,半そででもいいような温度になる。

ハノイから406kmか・・・

T字路の縦棒をソンラ方面に(南に)4kmほど歩く。分岐点のところには「左折ハノイ406km,直進ディエン・ビエン・フー80km」の道路標識がある。ベトナム北西部の料金に関してはひたすらあこぎなバスの車掌と戦いながらずいぶん遠くに来たのだなあという感慨まじりでこの標識を眺める。

村の鍛冶屋

池というよりは貯水池であろう

橋があり,左側には大きな池がある。池の向こうは低い山になっており,散策するのに良さそうなところだ。その先を行くと緑の水田地帯に出る。水田にはほとんど人影はない。草取りだろうか,一ヶ所だけ人々が水田に入っている。小川が蛇行しながらずっと先の山すそから流れてきており,男性が投網で何かを捕ろうとしている。

この地域の民族衣装は黒を基調としている

黒い上着,黒いズボン,頭には刺繍のある頭巾を被り,肩からカラフルなかばんを下げた黒ターイの女性が天秤棒をかついで歩いてくる。黒い動物の毛をすいている民族服のおばさんが手を振ってくれる。大きな乳房を膨らませた黒豚が子豚と一緒に道路わきの草を食べている。この道は写真の題材に事欠かない。

平地は水田優先なので家屋は一様に斜面にある

そろそろ草取りが必要なのかな

このような天秤棒は中国文化である

狭い平地はすべて水田となっている

竹藪に囲まれた家

通りに面して家から手を振る

盆地状の地形なので家々からの煙が霧を招いているのかな

東南アジアには黒豚が多い

この家でお茶をごちそうになった

一軒の家の前でおじさんに呼び止められ,お茶をごちそうになる。このあたりの家ではどこにおじゃましてもまずお茶が出てくる。小さな一口茶碗を飲み干すとすぐ次が入れられる。

4人の女の子がいるので写真を撮り,ヨーヨーを作ってあげる。子どもたちは近所の家に自由に出入りしているので,誰がこの家の子どもかは分からない。

高床,入母屋造り,土壁の民家はこの地域の標準的なもの

子どもたちが付近を案内してくれた

その先で左の山に入ると6人の子どもたちと道案内をしてくれる。さっきまで道端で泣いていた子どもも元気に仲間に入っている。彼らに手を引かれ,何軒かの家におじゃまする。

家は高床式になっており,下は作業場,子どもの遊び場,ニワトリ小屋として使われている。階段を上がると外廊下になっており,子どもたちの服が干してある。家の内部は板で囲われた寝室を除き大きな部屋になっている。床は裂いた竹が使用されている。

親切にしてくれた子どもたちにフーセンでお礼をする。子どもたちの伝達網でこの情報が伝わり,家の前には15人ほどの子どもが集まる。今日はとてもいい写真が撮れたので希望者にはみんなあげることにしよう。

子どもたちの案内でこの家にお邪魔することに

近所の子どもたちが集まってくる

子どもたちに見送られる

その後に写真の注文が入る
私は竹藪を背景にして撮って

私も子どもと一緒に撮って
おそらく子どもの母親はこの方なのであろう

運んでいるのはもしかしてキャッサバの木かな

結局,最後には大集合写真となる

ネナシカヅラはこれでも植物である

灌木の上を黄色のひものような不思議な植物が覆っていた。ネナシカズラ属(Cuscuta)の仲間であろう。ネナシカヅラはつる性の寄生植物であり,クロンキスト体系では単独でネナシカズラ科 (Cuscutaceae) としているが,APG植物分類体系でもヒルガオ科に含めている。

ネナシカヅラは名前のように寄生植物であり,葉緑素がないため黄色,橙色,赤色となる。つるが分岐しながら伸びて他の植物や地面を覆うように成長する。世界の温帯から熱帯に広く分布し,日本にも「ネナシカヅラ」「マメダオシ」が分布している。

外観的に類似している植物にスナヅル(クスノキ科・スナヅル属)があるが,別属の植物であり,収斂進化の一例とされている。日本では小笠原諸島,九州南部,南西諸島の海岸に自生している。

田園風景

昼食の時間になったので町に戻ることにする。子どもたちは幹線道路までついてきたが,そこでお別れする。橋のところまで行くとそこにもかわいい被写体がおり,再び寄り道をする。

写真のお礼にヨーヨーを作ってあげると,若い男性が自転車で届けてくれたアイスクリームをお返しにいただく。コーンカップに入ったその物体は甘みのついたシャーベット状のもので,正体は良く分からない。

この街の食事代はとても高い。昼食にごはんと魚の煮つけを食べたら20,000ドンを要求された。高くても15,000ドン程度のものなので文句を言うと,「うちではそれが2万ドンなんだよ」とすましたものである。

次の日は別の店でごはん,牛肉煮,スープ,キャベツの塩茹での組み合わせで15,000ドンである。やはり,先に値段を確認してから注文するのがベトナムの鉄則である。

丘の斜面に家屋が点在している

子どもたち

子どもたち

丘の上から見ると平地はずいぶん狭い

カメラに驚いているのかな

高床式家屋の下は子どもたちの遊び場所となっている

猫と一緒に

通りを行く少数民族の女性

ここの水田は密植であった

絵に描いたような田園風景が広がる

枝道に入ると水牛とすれ違うことに

子どもたちに何枚か写真をせがまれた

雨期には吊り橋の下に水が出るのだろう

重量は150kgまで,水牛は通行禁止ということかな

いちおう揚水水車となっている

農作業において,川や用水路から水をくみ上げるのは大仕事である。しかし,水の流れを利用して,自動的に水をくみ上げる道具がある。

水流により羽根水車が回り,それに取り付けられた筒の水が最も高い位置でこぼれ落ち,竹を伝って水田に供給されるすぐれた仕掛けだ。雲南省からインドシナ半島の少数民族はしばしばこの装置を利用している。

村の大運動会会場

滞在3日目,7時過ぎに外に出るとさすがにホテルの門は開いている。出てすぐ右の食堂で肉入りのフォーをいただく。市場の方に行こうとすると,広場に向かう道にバイクがたくさん停めてあるので方向変更となる。広場では地元の人たちが参加するスポーツ大会が開かれている。

その手前,道の両側に幼稚園がある。年長組みは教室の外で出ていたので整列してもらい集合写真を撮る。ここの子どもたちはみんな素直で扱いやすい。先生の指導で,ラジオ体操ならぬビデオ体操が始まった。体がほとんど動いていない子どももいる。

奥の中庭では年少組みが体操をしている。両手に旗をもっているのでお遊戯というところである。道路を挟んだ向かいの幼稚園も自由に入れたので見学する。ここも同じようにビデオ体操である。教室の中で写真を撮り,一人一人に画像を見せてあげる。

広場ではバレーボールの試合が行われていた。女子はほとんど既婚者で,短パンにストッキングを着用している。男子は派手なスパイクがあり,かなり程度は高い。

中央では直径15cmほどの大きなコマを回し,3m,6m,9mほど離れた地点からコマを回しながら当てる競技が行われている。手元のひもの先には細い棒が付いておりこれで強い回転を与え,ターゲットのコマを弾き飛ばす。首尾よくターゲットに当たっても自分が先に倒れるとダメのようだ。

左側の建物の庭から大きな声援が聞こえてくる。回りは大勢の人が取り囲んでいるので建物の2階から見学する。男性2人が2mほどの竹の棒を押し合う力比べの競技である。コンクリートの地面に描かれた円が土俵になり,そこから押し出されると勝負ありである。

力の入った迫力のある競技なので下に降り,土俵の最前列に坐って写真にする。回りには民族服の黒ターイ族の女性たちも観戦していたので撮らせてもらう。

力が拮抗していると勝負は簡単にはつかない。3-5分ほど静止状態になり,相手の体勢を崩そうと駆け引きが行われる。単純であるがとても気に入った。

非常に残念なことにこの日の午前中に撮った100枚ほどの写真は,メモリーからストレージに移し忘れたらしく手元にはない。帰国してPCで写真の整理をしていてこれに気が付きとても落胆した。

現在ではデジタルカメラのメモリ容量は4GB程度は当たり前であるが,当時使用していたメモリーは128MBであったので1日の写真容量にも足りない。そのため,メモリーを3個使用し,順次HDのストレージに移し,画像は全消去して再使用していた。

毎日,夜にこの作業をすることになるが,この時は2個コピーしなければならないところを1個だけで作業が終了したと思い込んで,全消去してしまった。

現在はネットPCを持ち歩き,コピーの後で画像を確認することができるのでこのような悲劇は起こらない。そもそもメモリー容量が30倍になったので,コピー作業そのものが1週間に1回程度で済む。それでも,予備のメモリーとバッテリーは必須携行品である。

仲良しの二人

午後は昨日の道をもう一度歩いてみた。天気がある程度回復したので遠くの景色もきれいに写る。小さな池の脇で作業している女性を撮ろうとしたら,恥ずかしいのか後ろを向いてしまう。

近くに高床式の風情のある家があり,床下で子どもたちが遊んでいる。写真を撮ると家の中に案内されお茶が出てくる。この家も寝室がカーテンで仕切られ,それ以外は広いスペースになっている。

近所の子どもたちも集まってきたので,小さな子どもにはフーセン,大きな子どもにはヨーヨーを作ってあげる。作業用のカップを出し水を入れてというと,お湯が出てきたので水に替えてもらう。

子どもたちはポンプでヨーヨーに水を入れ,ゴムひもをパッチンで止める作業を興味しんしんのまなざしで見ている。フーセンは口をしばらずに,そのまま渡したほうが良いようだ。

子どもたちは膨らませては手を離してフーセンを飛ばす遊びを楽しんでいる。フーセンやヨーヨーでこんなに喜んでくれるのだから持ってきたかいがあるというものだ。

入母屋造りの民家

住居は切妻造りであるが物置が付属している

斜面農業も行われているようだ

ご当地の宴会は御馳走を一列に並べるスタイルである

道路から外れ,山の方に歩いていくと村人が集まっている家がある。屋根が新しいので葺き替えが終わったところのようだ。中に入ると床に新聞を敷いてご馳走が一列に並べられている。

両側にお客さんが坐っている。ほとんどが盛装の女性で,頭は丸髷のように結い上げている。すでにお酒が入っているらしく僕にも飲め,飲めと茶碗が回ってくる。ここの酒は40度を越える強い蒸留酒だ。ビールのビンに入っているので自家製のようだ。僕はもっぱら料理をいただくことにする。

中国の少数民族の間ではイベントの食事を道路や広場に一列に並べた100mほども続く食卓でいただく風習がある。この風習は複数の民族で行われているので共通的な伝統のようだ。中国語では「長街宴」あるいは「長卓宴」の名前で知られている。

下記の記事などは多分に長さを競うためのものと考えられるが,それにしても2000m,4000mとは恐れ入る。「緑春」の町は馬の背のような地形に細長く伸びる町であるが,町といえる範囲は4kmもない。

「天下一の宴」「世界最長の宴席」と呼ばれる雲南省緑春哈尼族の長街宴が2010年11月30日,雲南省緑春県で行われ,国内外から1万人近くの観光客が参加した。

今回の長街宴では全長2000m近くの合計1860卓のテーブルが用意された。雲南緑春哈尼族の長街宴は2008年に全長4000m,3050卓という記録で上海ギネスの「世界で最も長い宴席」に認証されている。(人民網日本語版より引用)


音楽が始まると空いたスペースで踊りが始まる。日本の盆踊りのようなものなので僕でも参加することができる。ここでも酒のグラスを持たされ,断るのが大変だ。

部屋の縦1/3は一段高くなっておりカーテンで仕切られた寝室になっている。男性が一人,飲みすぎで横になっている。それにしても女性たちの酒に強いこと,元気なことには恐れ入る。

中国の少数民族を含め世界の民族の大半は酒に強い(普通に飲むことができる)。ところが東アジア人の一部には「酒に弱い人」と「まったく飲めない人」がいる。

飲んだアルコールは胃・十二指腸・小腸で吸収され血液中に入り,おもに肝臓でエタノール→アセトアルデヒド→酢酸→二酸化炭素・水というように代謝される。この代謝の中で悪酔い物質が「アセトアルデヒド」である。この物質が速やかに分解されないと,いわゆる「悪酔い」した状態になる。

アセトアルデヒド分解酵素はALDH(アセトアルデヒド・デヒドロゲナーゼ)と呼ばれており,その主役となるのが「ALDH2」であり,東アジア人の一部には「ALDH2」が正常に機能しない(不活性)遺伝子をもっている人がいる。彼らが酒に弱い人とまったく飲めない人となる。

両親から不活性遺伝子を受け継いだ人は「まったく飲めない人」となり,両親の片方だけから不活性遺伝子を受け継いだ人は「酒に弱い人」となる。両親から活性遺伝子を受け継いだ人は「普通に飲める人」となる。

日本人に関する研究では「まったく飲めない人」は約5%,「酒に弱い人」は約40%となっている。「ALDH2」の不活性遺伝子は遠い昔の中国大陸で一人の人に起こった突然変異によるものであり,それは東アジアの人々に伝播したものと考えられている。

日本には縄文末期から弥生時代にかけて多くの渡来人がやってきており,その集団の中に不活性遺伝子の持ち主がいたと考えられている。そのため,縄文人はすべて酒に強く,同じように中原の集団と血縁関係が薄い中国や周辺国の少数民族もすべて酒に強いということになる。

少数民族の宴会に加わるとあの強い酒を出されるので僕は閉口することになる。なぜならば,僕は「まったく飲めない人」集団に属しているからである。

水牛に乗って川沿いをやってきた姉妹

川岸を歩いていたら反対側を水牛に乗った少女がやってきた。先頭が姉で後ろが妹のようだ。ベストアングルのところでカメラを構えると妹は姉の陰に隠れてしまう。少し慣れてなんとか一枚をものにすることができた。

近くの家におじゃまして子どもたちの写真を撮る

川岸の家におじゃまして子どもたちの写真を撮っていると,さきほどの姉妹が川のところにいる。この家に呼んでもらい一緒にフーセンを作ってあげる。家の子どもたちと集合写真にも入ってもらう。目鼻立ちがはっきりした子どもが多く将来有望である。

水牛の子どもたちについていくと幹線道路に出て町と反対側に向かった。どうやら水牛に草を食べさせるためここまで来たらしい。

一家そろって写真大好きである

子どもたちの見送りを受ける

大きな通りまで送ってくれた

さきほど水牛に乗った姉妹も写真に加わる

お姉さんと水牛のツーショットも撮らせてもらった

水田の向こうに学校のような建物が見える

帰りに水田の向こうに学校風の建物があったのでそちらに向かう。建物は幼稚園で,子どもたちは外に出て親が迎えに来るのを待っている。カメラを向けると先生が子どもたちを並べてくれた。

子どもたちはうれしそうだし,周囲の親も笑っている。そろそろ夕食の支度が始まるのか,村の家からは白い煙が立ち昇っている。

煙が水田の上を薄くたなびく

17時近いのでそろそろ夕食の支度が始まっているようだ

ずいぶん楽しんだトゥンジャオともこれでお別れである


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