亜細亜の街角
アクセスが大変な遺跡
Home 亜細亜の街角 | Prakhon Chai / Thailand / Jan 2006

プラコン・チャイ (地域地図を開く)

コラートからラオス国境に向かう国道24号線沿いにプラコン・チャイという町があるので,ここに泊まって「パノム・ルン遺跡」を見学することにした。

しかしこのアイディアは大外れであった。プラコン・チャイは小さな町で,宿はリゾートと称するできの悪いものしかなく,しかもここから遺跡までは20kmもあり,交通機関は300Bのバイクタクシーしかなかった。ピマーイあるいはコラートからツアーで来た方が快適で安かったかもしれない。

ピマーイ→コラート→プラコンチャイ 移動

宿でバスターミナルへの行き方をなずねたら,ピマーイ・ホテルの前からコラート行きのバスがあるとのことであった。ピマーイ・ホテルの横にはチケット・カウンターのらしきものがあり,時刻表もある。7時台は20分おきにコラート行きがある。ただしバスは通りの反対側から出るので荷物を持ってあわててバスに乗り込む。

バスはこれといって特徴の無い乾燥した風景の中を進む。コラートのバスターミナルではすぐにプラコン・チャイ行きのバスが見つかった。

東に向かう国道24号線の周囲は乾季の風景が続く。ときどき緑の帯が広がっているのはキャッサバの畑である。ユーカリの林も何ヶ所かで見かけた。これが年に1回しかコメのとれないイサーン(タイ東北部)の農村風景である。

南アメリカ原産のキャッサバはマニオク,マンジョカとも呼ばれ,世界中の熱帯地域で栽培されている。樹木なのにイモ状の根をもち,そこにでんぷんが含まれている。タピオカの原料と言った方が分かりやすいかもしれない。

単位面積あたりのでんぷん生産量は,穀類,イモ類の中ではもっとも高い。しかも,荒地でもよく育つ。栽培は簡単で,切断した茎を地面に挿しておけばよい。ただし,シアン化合物を含むため一定の毒抜き処理が必要である。

ユーカリはオーストラリを代表する樹木で非常に種類は多い。東南アジアで育成されている品種は早生樹種であり,ほとんどがパルプの原料として育成されている。この品種は非常に成長が早く,7-15年で伐採可能になる。また,キャッサバ同様に荒地でも生育するので造林適地がきわめて広い。

しかし,パルプのために天然林を伐採し,その跡地にユーカリを育成することは,現在の世界では論外である。外来種の人工単一林はその地域の生態系に資するところはほとんど無いといってよい。また,広大な土地の収用にからんで,先住民族を含む地域住民とのあつれきも指摘されている。

地域に残された天然林を保護する代償として,すでに草地や荒地になってしまった土地にユーカリの単一林を育成するのは,増大する木材や紙需要をまかなうため許容すべきであろう。そこでは,まるで長期栽培の作物のように肥料を使用して早生樹が育成され,時期が来ると収穫される。

バスはプラコンチャイのBTに到着した。大きな市場もありそれなりの町であるが宿が見つからない。どうやらバイクタクシーの運転手が言うように町から1kmほど離れたプラコンチャイ・リゾート・ホテルが唯一の宿のようだ。

このホテルはリゾートとは名ばかりのホテルで,管理棟は什器もなくがらんとしており,管理人はどこにいるのか分からない。少し待っているとどこからか怪しげなおじさんが現れ,部屋代は250Bだという。

部屋をみせてもらう。広さは10畳,ダブルベッド,T/S付き,清潔である。部屋の状態から200Bに値引きしてくれるように交渉したが30Bしか値引きしてくれない。

パノム・ルン遺跡への道

プラコンチャイからパノム・ルン遺跡までは約20kmあり,バスなどの交通手段は無い。バイク・タクシーは300Bするが他に手段は無い。これを見越して町から宿に連れてきてもらったバイタクの運転手は宿の前で待機している。

運転手と交渉して,パノム・ルン遺跡までの往復プラス現地での2時間待機で300Bにしてもらった。バイク・タクシーは田舎道を時速60-80kmで飛ばす。涙が出て視界がぼやける。風圧でメガネが飛びそうになる。

なだらかな山が見え,そこが目的地のようだ。山の頂近くには広い駐車場と食堂,インフォメーション・センター,博物館があり,そこから遺跡に向かう石畳の遊歩道が続いている。

運転手に2時間で戻ると告げて食堂の前を通ると日本語が聞こえる。このような辺鄙な遺跡にも日本人の団体が来ている。ほとんどが定年退職者の年代で,夫婦で参加している人が多い。一人で旅をしており,これからベトナム経由で中国に向かうと説明すると,「それは大変ですね」とねぎらってくれる。ちょっと面映い思いである。

パノム・ルンは12世紀頃に建造されたクメール寺院遺跡である。遺跡の基本構造はピマーイ遺跡と同じであるが,山の頂上にあるメインの遺跡までは長い参道になっている。

タイ東北部のクメール遺跡は,基本構成要素を同じくしているものの,それらを周囲の地形に合わせて配置しているようである。

参道は幅7m,長さ160mの石畳になっており,その両側にはハスのつぼみを形にした飾りポストが並んでいる。参道の向こう20mほど高い丘になっており,回廊に囲まれた中央祠堂の威容が見える。

パノム・ルン遺跡

参道の終わりから階段が始まり,一段高いところにナーガ・ブリッジが配されている。ナーガ・ブリッジは十字形のテラスで,参道とメインの遺跡に至る階段をつないでいる。手すりには5つの頭部を有するナーガが彫刻されている。

ナーガ・ブリッジからさらに石段を登り切るとメインの遺跡が出現する。中央祠堂とそれを取り巻く回廊の構成はピマーイ遺跡あるいは大きさは異なるもののアンコール・ワットと同一で,クメール遺跡に共通している。

回廊はかなり修復の手が入っているようで,明るい色の赤砂岩の石がオリジナルの黒ずんだ石に混じっている。建設時は石柱が入っていた明り取りの窓は石のブロックでふさがれており,回廊内部は真っ暗で歩き回れない。

中央祠堂の入口を飾るレリーフの保存状態はとてもよい。赤砂岩のまぐさ石(入口上部に渡された横石)に刻まれた細かいレリーフは,アンコール・ワットのそれとはずいぶん趣が異なる。

また祠堂の上部にそびえるタワーにも多くのレリーフが施されている。残念ながら欠損部分を新しい石で補修しているため,創造時の造形のすばらしさは失われている。

祠堂の内部にはナーンディ(シヴァ神の従者とされる聖牛)の像とリンガ(男性の生殖器を模ったものでシヴァ神の象徴)が置かれており,この遺跡がヒンドゥーのシヴァ神に捧げられたものであることが分かる。

もっともクメール王朝の宗教はヒンドーから仏教にゆるやかに変遷していったので,2つの宗教が混在している遺跡も珍しくない。

塔門上部のレリーフ

パノム・ルン中央祠堂

パノム・ルン中央祠堂につながる建物

ヒンドゥー教の寺院様式では前室に相当する建物であり前室+シカラ(尖塔)が中央祠堂となっている。しかし,このような形式では前室を通ってシカラの下部にある聖室(拝所)に至る構造になっているが,ここではシカラとそれにつながった建物にはそれぞれ入り口があり,独立したような構造になっている。

中央祠堂入り口上部のレリーフ

王の像がなぜか外にある

この遺跡はヒンドゥーのシヴァ神に捧げられたものだ

プリ・メーラの花が遺跡を飾る

タイ仏教の僧侶も遺跡の見学に来る

タイ寺院

パパイヤ

宿は町の中心部からかなり離れており,夕食をとるためそちらに歩いていく。宿の周辺は農地になっており,一本の立派なパパイヤの木が目に付いた。パパイヤは熱帯アフリカ原産と推定されており,有用な果樹として現在では熱帯地域で広く栽培されている。

パパイヤは樹木に分類されているが,その成長の具合を見ていると大型の草本性植物という感じがする。幹は直立しており,最上部の成長点から掌状の葉が伸び出しており,花も葉の根元の部分に付く。

その結果,実生は幹からぶら下がるように鈴なりになる。成長の早い植物で,成長点が上に移動していくと下の葉が順次落ちてゆき,次の葉が出てきて花が咲く。この繰り返しで成長するので僕が見たパパイヤはいつもなにがしかの実を付けていた。

市場の商品|ドラゴンフルーツ

ドラゴンフルーツ(dragon fruit),またはピタヤ(pitaya)は,サンカクサボテンの果実である。太い茎から伸びた緑色の細長い葉の先端部に濃いピンク色の果実をつける。原産地はメキシコおよび中南米である。本来の呼称はピタヤであり,ドラゴンフルーツは中国語をそのまま英訳したものである。

果肉は白もしくは赤いゼリー状で豊富な果汁を含んでおり,多数の胡麻粒のような黒い種子が散らばっている。この種子は小さいのでそのまま食べる。完熟すると甘いゼリー状になるとされているが,私が東南アジアで食べたものはリンゴのような食感であり,甘みも少なく果物のイメージではなかった。その後,沖縄でいただいたものは十分果物といえるものであった。

市場の商品|タマリンド

アフリカから南アジアにかけての比較的乾燥した熱帯が原産であり,南アジア,東南アジア,中南米の亜熱帯および熱帯各地で栽培されている。英名はTamarind,学名(Tamarindus indica)はアラビア語の「インドのナツメヤシ(デーツ)」に由来している。樹高は20m以上になる常緑高木であり,季節になると長さ10cmほどのソラマメようなたくさんの果実が枝からぶら下がる。

黄褐色のマメのさやはもろく,中には複数個の種子が入っている。可食できるところは種子の周りについているペースト状の暗褐色の果肉である。ねっとりして柔らかく,適度の甘みと酸味があり,外観からは想像できないおいしさである。市場ではさやのまま,もしくは果肉をまとめてボール状にして売られている。

市場の商品|魚の燻製

このように串に刺してあるいは二枚の幅の狭い板に挟み込むようにして燻製にするのはタイ東北部からカンボジアにかけての文化である。

市場の商品|ライギョ(雷魚)

ライギョは東アジア,東南アジア,南アジアに分布している。和名のライギョは東アジアに分布する種の呼称であるが,広義にはタイワンドジョウ科に分類される魚の総称としても用いられている。

ライギョは鰓呼吸だけでは酸素摂取量が不足するので水面に口を出して空気を吸い込み,そこから酸素を取り込むことができる。これにより酸素溶存量が少ない泥地などの水環境でも生息することができる。市場の水の入っていない容器に置かれていてもさかんに体をくねらせている。

東南アジアではナマズと同様に非常にしばしば食卓にあがる。僕は魚好きなのでライギョの照り焼きやから揚げをよく注文する。白身であっさりした味わいであり,ピリ辛のタレを付けると絶品となる。

市場の商品|加熱処理された魚

子どもたちは親の屋台の近くで夕食をとる

タイの田舎町と同様にプラコンチャイの町の中心部には市場があり,その周辺には食べ物の屋台が並んでいる。ここで働いている人は女性が多い。学校から帰った子どもたちは屋台の手伝いをしたり,夕食をここでとっている。

ぼくの夕食はごはん,野菜炒め,オレンジジュースの組み合わせで20B(70円)である。タイの日常的な食事は日本人にもまったく違和感がない。日本ではちょっと嫌われる長粒米もタイ風のおかずにはよく合う。

屋台で働いている人は女性が多

ごはんもおかずも屋台で調達できる

タイの香味野菜が並んでいる

タイ料理には香辛料と並んで香味野菜やハーブが欠かせない。それらの組み合わせにより生み出される辛味,酸味,甘味など多彩な味付けがタイ料理の特徴である。タイ料理=激辛という日本人のイメージは半分は当たっているものの,半分は外れている。バンコクの屋台は(外国人向けの味付けとなっているので)日本人が食べてもまったく違和感はない。辛味が抑えられている分だけ,酸味や甘味とのハーモニーが楽しめる。

もっともよく目にするのがパクチー(パクチー・ファラン)である。中国名は香菜(シャンツァイ),英語名はコリアンダーであり,和名の「コエンドロ」はほとんど使用されることはない。コリアンダー(Coriandrum sativum L.)はセリ科の一年草であり,東南アジアでは広く使用されている。独特の風味があるため,人によって好き嫌いが大きく分かれ,嫌いな人にとってはカメムシソウ(和名の別名)ということになる。

小学校の朝礼|この子たちは幼稚園児でしょう

タイにも冬があるのか,夜はポロシャツと毛布でちょうどよい温度である。外が明るくなったので06:30に起床し市場に向かう。タイの人々は朝が早い。この時間帯でももう市場はにぎわっている。

おかゆの屋台がある。ここでおかゆを注文し,近くの屋台から豚の串焼きを2本買ってきて朝食にする。市場の周辺の店でキャンディーとフーセンを探す。これらの小道具は子どもたちと仲良くなったり,写真のお礼をするときに役に立つ。

宿に戻る途中に小学校を見つけた。ちょうど朝礼の時間なので全校生徒がコンクリートのグランドで整列している。下級生は体操着であるが上級生はポロシャツと長ズボン姿である。小学校かと思っていたら最上級生はとても大きいので小中学校なのかもしれない。

小学校の朝礼|こちらは小学生

先生の話を聞く

先生の説教が終わると国旗掲揚が行われる。生徒の代表が国旗を揚げ,生徒たちは国歌を歌う。これはタイの学校における毎日の光景である。

帰りがけには食堂のおばさんにつかまり,昼食用のトリごはん(白いごはんの上にトリのから揚げをのせたもの)をごちそうになる。とてもおいしく2時間ほど前におかゆをいただいたのに全部入ってしまった。

昨日はプラコンチャイに泊まったことを後悔していたのに,ちょっといいことがあると,「それが一人旅のいいところさ」とうそぶく。

小学校の教室|まだ授業開始前である

小学校の教室|国旗,仏像,国王の写真


ピマーイ   亜細亜の街角   コラート