Home 亜細亜の街角 | Chaing Sean / Thailand / Mar 2003

チェンセーン  (参照地図を開く)

チェンセーンはタイ北部,メコン川に面したラオス国境の小さな町である。今は小さな田舎町であるが,11世紀頃栄えたチェンセーン王国の都であった。当時の城壁と半ばガレキと化したストゥーパがいくつも残っている。

現在のチェンセーンはメコン川を通じて中国雲南と結ばれている。船着場には中国語の書かれた貨物船が停泊している。水量が少なくても航行できるように底の平たい川用の船である。


メーサイ→チェンセーン移動

メーサイ(10:20)→チェンセーン(11:20)とソンテオ(30B)で移動する。このルートはバスの便が無いので,トラックの荷台を人が座れるように改造したソンテオになる。料金は近距離のバスとほぼ同等である。

途中できれいな水田風景を見ることができた。ちょうど田植えが終わった時期で,一部では田植えが行われていた。40分ほどで「黄金の三角地帯」,1時間でチェンセーンに到着する。


JSゲストハウス

チェンセーンはメコン川沿いの幹線道路とそれに交差する大通りに商店と市場があるだけの小さな町だ。宿は大通りから少し入ったJSゲストハウスにする。

建物は普通の民家を改造したように見える母屋とその背後にある長屋のような建物からなっている。チェックインしようとするとなぜか日本人旅行者が受け付けてくれた。この宿に長期滞在しており,宿の経営者からも信頼されているようだ。

彼のはからいでほとんど新築状態の母屋に宿泊することになった。部屋は8畳,2ベッド,T/Sは共同,母屋は土足禁止になっていることもあり,清潔で気持ちの良い宿であった。しかも宿代は100Bと格安である。

中国船がここまで来る

母なるメコンは雲南を下りタイ,ラオス国境のこの町をゆったりと流れている。ここからのメコン川は川幅が300m,対岸には建物は無く,その間を茶色の水が分断している。大河で結ばれた雲南からはたくさんの中国籍の貨物船がやってくる。ここは内陸の国際港なのだ。

川岸はみごとな大木の並木になっている。土手の道路には数台のトラックが停車している。乾期のいま,水面は土手から10mほど下にある。船着場までコンクリートの階段があり,トラックから運び出されたランブータンの缶詰を半裸の労働者がかついで船に積み込んでいる。

メコン川を利用して雲南/タイ間を移動するのは旅行者にとってとても魅力的だ。インターネットでチェックしてみると, 「2006年9月から景洪とチェンセーンを結ぶ高速船が運行されるようなった」という記事が配信されていた。

所要時間は8時間,週2便もしくは週3便ということであるが料金は800元とチェンマイ/景洪の航空料金と同等である。景洪/チェンセーン間は320kmほどあるので,高速船は時速40kmで疾走することになる。メコンをのんびり眺めるという風情はあまり感じられないかもしれない。

母親に髪をすいてもらう

名前の分からない寺院

巨大な鳥のオブジェ

龍船の舳先

このおどろおどろしいものは龍船のへさきの飾りである。東南アジア,中国南部,中国長江流域,沖縄,西日本には船漕ぎ競争の伝統がある。細長い舟を使い,小さいもので10人程度,大きなものでは100人もの人が両側に並び船頭の掛け声に合わせ一斉に櫂をこぐ。勇壮な龍船競争をいつか見てみたいものだ。

タイの中央平原でも雨季になると船漕ぎ競争が行われる。この船を見ているとこの地域ではメコン川で大きなレースがあるのでは想像してしまう。しかし,そのような情報はどこにもない。

ホウガンノキ

ホウガンノキ(サガリバナ科)の原産地は熱帯アメリカとされている。30mにも育つ高木であり,東南アジアでは仏教寺院でよく目にすることがある。タイの寺院ではしばしば「サラノキ」と表記されているが,ブッダが入滅した時の「沙羅双樹」とはまったく異なる植物である。

そもそもサラノキの花の色は白であり,樹形もまったく異なっている。それにもかかわらず「サラノキ」と呼んでいるのは「インドボダイジュ」,「ムユウジュ」と並んで「仏教聖樹」とされる「サラノキ」を身近に感じたいという宗教的願望によるものと推測する。僕もタイの寺院でこの名前がインプットされてしまい,それを修正するするのが大変であった。 ホウガンノキは高さ30mにもなる高木である,幹から花茎を伸ばし,そこに花を咲かせる。花は椿に類似しており,美しい。そのため「サラノキ」の代替植物にされたのではないかと想像する。ホウガンノキの名前の由来はその果実から来ている。この木の果実は野球の硬球ほどの大きさになり,硬球と同じくらい硬い。

夕方のお店番

屋台でお手伝いする

07時過ぎに朝食のため市場方面に歩いて行く。市場の手前にはたくさんの屋台が出ている。タイ風ラーメンのクイティオ,中華風のにくまんやあんまん,おかゆ,タイ風の甘いクレープ...旅行者でも朝食のメニューには事欠かない。

今朝はタイ風ラーメンをいただく。スープの味は淡白で塩味も不足している。テーブルの上の調味料で味を調える。タイ人はこの砂糖,唐辛子,酢,その他の調味料をふんだんに使用して,自分好みの味を調える。これは僕には絶対まねができない。

始業前の学校

市場の中の食堂では制服の子どもたちが,学校の時間まで親の手伝いをしている。タイの子どもたちは本当によく働く。カメラを向けると素敵な笑顔で応えてくれる。通りを挟んで市場の前は学校になっている。子どもたちと一緒に中に入り,校庭で遊んでいる子どもたちの写真をとる。

大きな食堂では朝食もとることができる。そういえば,タイの家庭ではあまり調理をしないという話を聞いたことがある。共働きの家庭が多いので,屋台から持ち帰り,家で食べる方が経済的であり,時間の節約にもなる。

朝礼

そのうち予鈴が鳴り,生徒たちは校庭に出てきて,学年別に整列する。先生の話では12学年,幼稚園を加えると総数は1300人とのことである。

朝礼が始まる。国歌が流れる中で国旗を掲揚する。子どもたちは「気をつけ!」の姿勢でそれを眺めている。タイの人々は国歌と国旗に強い愛着がある。

毎日定時にテレビや街頭のスピーカーから国歌が流れると,歩いている人々は立ち止まり直立不動となる。あの習慣は子どもの頃から培われているようだ。

教室は大騒ぎ

朝礼が終わると生徒たちは一列になって教室に向かう。僕は上級生の英語の授業に誘われた。始業前にカメラを向けると教室はちょっとした大騒ぎになる。

黒板に名前,日本のどこに住んでいるか,今回の旅行の行程などを書きながら英語で説明する。生徒たちは神妙に聞いている。質問を受け付けたが手は上がらなかった。日本と同じで英語教育が読み・書き・文法に偏っており,会話慣れしていないようだ。

黄金の三角地帯

チェンセーンから西に9km,タイ,ラオス,ミャンマーの国境が会するところがある。いわゆる黄金の三角地帯である。チェンセーンからソンテオに乗って出かけてみる。料金は片道10Bである。

黄金の三角地帯では正面のメコン川と左からのメーサイ川が合流し,左にミャンマー,右にラオスを見ることができる。一昔前はこの地域は少数民族によるアヘンの栽培と武装麻薬組織によるヘロインの密造で悪名を馳せたところである。

その後,タイとラオス政府の努力によりケシの代わりにお茶やコーヒーなどの作物を栽培するようになり,ケシの栽培は減少した。これに代わってタイでは覚せい剤の蔓延が大きな社会問題になっている。

東南アジアの多くの国では一定量の麻薬保持に対しては死刑が適用される。タイではさすがにそこまで強硬な法律は作れないようだ。政府は密売人とその親族の資産を押収し,次年度の麻薬取締り予算に充当するという荒業を行使して増加する薬物汚染に対抗している。

麻薬のイメージが薄らいだ黄金の三角地帯は地の利を生かして観光地に変わろうとした。1997年のタイ通貨危機の少し前,ここに巨大なショッピングセンターを作り,雲南省の景洪まで豪華スピードボートを運航させようというプロジェクトが進められていた。しかし,タイのバブルがはじけ,壮大な計画は頓挫してしまった。

現在,この付近には数軒の食堂とたくさんの土産物屋が並ぶだけだ。岸辺には観光用のボートが係留されている。メコン川クルーズのスロー・ボートに観光客の団体が乗り込む。スピード・ボートが爆音とともにミャンマー側にあるカジノの方に疾走していく。

背後の丘からの眺望

「黄金の三角地帯」の全体像を見るには,背後の丘に登るのがよい。みやげもの屋の脇の道を上がっていくと途中からお寺に続く階段がある。階段の終点にはナーガをイメージした珍しい像が置かれている。たいして見る価値のない寺院からさらに上って行くとビュー・ポイントがある。

メコンの月と朝日

日の出前にメコンの朝日を見に行く。ガスがかかっており,きれいな朝日は望めそうにない。対岸にはラオスの暗い森が広がる。太陽がゆっくりと顔を出す。

空と川が少しずつ茜色に染まっていく。見事な赤い球形の朝日が昇ってくる。こちらに向かってメコンの川面に赤い柱が迫ってくる。軽くかかったガスの中ですばらしい朝日を楽しむことができた。

早朝の市場の風景

子どもたちの登校風景

ワット・チェリドゥワンのパゴダ

ワット・チェリドゥワンのパゴダはチェンセーンで最も立派なものらしい。散歩がてらに歩いて行くと,大型の観光バスが2台も駐車している。土産物屋もある。

見所は古いパゴダを簡単な造りの寺院である。パゴダは歳月を感じさせる立派なものであり,祈りの石像と組み合わせると趣のある写真となる。もっとも,構図のの間に割って入ってく観光バスはジャマだ。

敷地内には立派なインドボダイジュの木が枝を広げている。パゴダの周囲を囲む塀の上には,たくさんの合掌する仏像が配置されている。これがなかなか,荒削りであるがなぜか僕をひきつける。

仮造りのような寺院で4人の地元の人が祈りを捧げている。本尊のブッダ像は新しく,金色に輝いているが,寺院の質素な造りと不思議に調和している。僕もしばらく地元の人たちの後ろで瞑想する。

近くの博物館は小さいながらも展示物は充実している。少数民族の暮らし,メコン川に住むという伝説の巨大なまずの展示物が興味深い。

石像と金銅像

竹を伐る

ワット・プラタート

ワット・プラタートは3kmほど離れた山の上にある。苦労のしがいのないお寺である。金色のパゴダを遠くから眺めればそれでこと足りる。仏像は金ぴか,もしくは肌色をしておりほとんど見る価値はない。唯一,チェンセーンの町とメコン対岸を眺望できたことが収穫である。

この寺院より少し先にある名前の分からない小さな寺院や,帰りに見かけた崩れかけたレンガ造りのパゴダのほうが印象に残る。

立派な校舎


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